2008年07月05日

ダリヤ

dariabutter1.jpg
 

天気雨外にい出あり夏雲雀

開け放つ窓に夕風夏雲雀

ダリア咲く赤黄橙朝日さし揚羽蝶喜々と飛び移るかな
 
今日の天気も変化した。最初は晴れていてそれから蒸し暑くなりぐったりとなった。次に雨と思ったら天気雨でありやんでまたちょっと晴れてそれから雷があり夕立になった。それで一時的に涼しくなった。そのなかで夏雲雀が盛んに鳴いていた。梅雨の時期には夏雲雀らしくないが夏雲雀がにあうものとなった。今年はしとしとじめじめとした梅雨になっていないみたいだ。から梅雨気味なのかもしれない、日本はこれだけ天気が変わりやすいから俳句の国になる。季語の国になる。今年は暑くなるのか、蒸し暑くていやだ。
 
最近随分抽象画に夢中になっている。絵にしようとすると全く才能がないのだがパソコンではソフトの作用で絵ができる。特に抽象画は具象画ができなくてもできる。人間の特徴は抽象化することである。そもそも言葉、文字は極めて抽象化したものである。言葉を話、文章を書くことは高度な抽象作業なのである。人間は生れたときから抽象化して物事をとらえているのだ。特に漢字は一つ一つが抽象画なのである。漢字を使うことは日々抽象画に接している、抽象画なしではありえないのが日常なのだ。日常的にそうなのだから抽象画は実際は身近なものなのである。数字そのものが抽象的なものであり数字を離れて一日もありえない、不思議なのは認知症はこの抽象化の能力を奪われてしまうことなのだ。漢字が書けない、計算ができない、銀行のことがわからない、それはなぜか、銀行というのは金をあづけてあるのだが数字となっている、数字として金を処理する抽象的な存在だから銀行の意味がわからなくなるのだ。もし金の延べ棒としてあるなら私の金の延べ棒一本下さいとなりわかるのかもしれない、数字となっている金のことがわからなくなるのが特徴である。抽象化ができなくなることはこうして致命的なものとなる。抽象化することは絵の才能とかではなく訓練である。認知症を防ぐには文章を声をあげて読めとか簡単な計算しろとかいうのもそのためである。もしかしたらこのようにパソコンでもって抽象化の訓練することが認知症の予防になりえるかもしれない、今回の実に簡単である。単純な抽象化だった。
 
 
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