2015年10月15日

「金の切れ目が縁の切れ目」「ただより高いものはない」「地獄の沙汰も金しだい」 (金でのことでも意志疎通できないから問題起きる)


「金の切れ目が縁の切れ目」「地獄の沙汰も金しだい」「ただより高いものはない」


(金でのことでも意志疎通できないから問題起きる)


今日もまた駆けずり回って疲れた。手押し車を一つ自転車に積んでリサイクルセンターまで行き投げた。リサイクルセンターは近いからできた。
自転車も他も一緒に処理しようとしたがそうなると車を頼まねばならない
タクシーに聞いたらなんかめんどうなことを言って頼めなかった。
知っている人がいるから頼めばいいのだが結局かえって礼しなければならないから高くつく、自分に対しては高く要求する
それから便利屋というのにも頼むことはできる、それも値段の問題になる。
つまり金の問題なのである。別にここで金にこだわったわけではない
何か自分でやれることはしてみたいと思った。
何でも金かけていることは良くないと思ったからだ。

実際車を頼まれた方も車は維持費がかかるものだから無料では誰もやってくれない
やってくれるとなると余程親しいか余裕のある人だろう。
車のない人は買い物などを頼むとき親しい人に2000円とか3000円で頼むようにしている人がいる。
これも車を維持するのは金がかかるからそうなる
それをどうこういうことはできない、
要するに車をもつことは金のかかることなのである。
だから車のない人はそれなりの負担しなければならないのは当然なのである。
何をあなたはいちいちそんなこと理屈を言っているのだとなる

ただどうしたら安くするかということを考えるとどうなるかということである。
親しい人に頼むと普通の倍以上とかとられる
自分はずっと金のことでいろいろ体験してきた。
今までは金のことも世間のこととも何もしていない
全部家の人がやってくれてきたからである。
金は実際は食費は三食付きであり本代とか旅行代とかその他にほとんど使っていないし
金持ちの息子とは違っていた。
ただ時間だけがふんだんに与えられていたのである。
だから自分が金持ちの気分はないし金はいつも不足していたのである。

そして自分は本当に世間知らずだった。世間知らずの方が良かったという面があった
これほど人間が醜いのか、これほど金しかない人になってしまったのかということを痛切に感じた。それだけ金に窮している人が今は多いということである。
ただ別にそういう人と直接交わらなければわからないのである。
最初に来た親戚の人は「おばちゃんは金あるんだから金にめんどうみてもらへ」と言って寝ていた母をどなりつけてきれた。
その人だけは金があまるくらいあり不思議に何か遺産が入る人だったのである。
金がなくてこう言ったのではない、病人とか介護にかかわりたくないから言った
別にその人とは付き合いがほとんどないのだからその人はかかわらなくてもなにかすることもないのである。
だから別に何も言わず来なくなればいいだけである。
でも今考えるとつくづく「金でめんどうみてもらへ」というのが現代だと思った。
金で何でも解決しろというのが現代の社会なのである。
介護でもそうだしもう何でもそうなのである。
この辺で原発避難者が仮設に住んでいるが補償金問題でもめていることを何度も書いた
これも結局どうなるのか「お前ら避難者は金を多くもらったの
だから「金でめんどうみてもらへ」と極端になればそうなる
「俺たちはもらっても少なかった」だから協力はしないとなる

金は人間を協力させるものとして働かない、離反させるものとなる。
そして金が万能でもない、でも万能化しているのである。
それで浪江の工場経営者が前の仲間に仕事を回してくれと頼んだらあなたは高額な補償金もらっているのだから仕事がなくてもいいだろうと言って断れたという。
これもちらっと本音をテレビでもらしたのである。
実際工場とかの経営者や牧場の経営者が大熊辺りで5億円もらったというのは本当だろう
その額が大きくなるのである。
そうなるとお前らは補償金でもう一生暮らせるんだから仕事などしなくていいだろうとなる
これも金をめぐる人間の問題であり今の社会の問題だった。

次は自分の家に「金をくれ」と入ってきた人である。それは冗談だと思っていたのであるそううい大胆な人だったからそう言って気にしなかった。
ざっくばらんな人だと思っていた。
実際この通りの人だった。自分が突然病気になったとき本当に家捜しされて大金を失ったその通りに実行したという驚きである。
そんな人いるのかという驚きである。
でもその人は金に窮していたのである。それほど金に窮していたのである。
金に余裕ある人は家の手伝いなどしない、たいがい問題ある人である。
だから金にまつわることで必ずというほど問題が起きやすいのである。
現代は金に困っている人が本当に多くなったのだろう。
下流老人とかフリーターとかシングルマザーとか日本人は貧乏になったのである。
格差社会のこともいろいろ言われる
金に余裕ある人は少ないのである。
もう切羽詰まっている人が多いのである。

もう一人の親戚はこの人は一級の資格をもっていたから金に余裕ある頭のいい人だと思い込んでいた。
この人は一番金に困っていた。もう金がなくて窮迫していた。
それが最初はわからなかった。家族の人もその時はわからなかったのだ。
多額の借金をして自分は事業の成功者だと装っていた、嘘ついていたのである。
この人はまずなんというかすべてのことについて金を要求してきた。
頭の中が金しかないのである。それだけもう金に追い詰められていたのである。
事業しているから一千万の機械を買ってくれとか最初言っていた、自分には成功した人だから何のことがわからなかった。
その事業のことも良くわからなかったのである。
ただいつも成功している金はいくらでも入ってくるようなことを言っていた。
別に深くつきあったわけではない、死んだ身内が深くつきあっただけである。
自分はほとんど何も関与していないのである。

その人は何するにも頭には金しかない、入院して手術をするとき保証人になるから
書類に書いてくれと言ったらなにかそれを非常に恩きせまがしくしていた。
その人はまず最初から何かしてもらいたいなら金を出してからにしてくれということを暗黙に要請していたのである。
一つの商売として自分に要求してきたのである。
自分が病気だということを何の考慮もしなかった
おそらく自分が弱い立場にあり苦しい立場になっているからかえって弱者になったから
要求しやすいわけである。
その人が若いときいい人だと仕事仲間が言っていたがそれは30年前とかのことである。
だから人間は変わるものである。同窓会でもみんな全く人間が変わってしまったというのが普通らしい、自分は一度も出ていない
その人は若いときはそうではなかった、事業に失敗してモラルも何も喪失していたのである。
頭の中が金しかなくなってしまった。
自分が頼んだことはたいしたことではない、でも手術の保証人というが大手術でもないし何の保証も要求されない、金には困っていないからである。それで負担をかけることなどなかったのである。
ただそういうことで自分に金を要求してきたのである。
なんか逆に今になると借金の連帯保証人にでも自分になってくれという感覚になった。
その人は切羽つまっていた。

結局みんな金で切羽詰まっていたのである。
もう今金が入らなければ強盗にでもなる他ないというほどまで極端化すれば切羽詰まっていた。
現実借金の形にブラックな所で働かざるを得ないのもそのためだった。
借金している人は本当に怖い、全くモラルがなくなり常に犯罪の動機になっている
借金自体がもうすでに犯罪者となることに限りなくなっている
だから借金のために犯罪になることがいかに多いか納得する
そんな人が病気のとききたのだから最悪だったのである。
自分にとってこれほど恐ろしいことはなかった。
相手はなんにも感じていない、自分の借金のことしか頭にない
借金している人はみんなそうである。

その人はもともと商売には向いていなかったのだろう。理系で技術のことだけしていれば会社に勤めていれば借金などしなくてすんだ
商売というときただそんなふうに病気の人に対してまで商売して金を要求することではないだろう。
損して得をしろとか相手のことを思って商売するということもあるだろう。
そういうことが全くない人であった。
まず自分が10をとる、そうしたら3か4をやる、絶対に10をまず与えて損なことをはじめからしないのである。「損して得をしろ」とは絶対にならない
そういうことを病人にしたのはかえって要求しやすいからそうなった。
商売相手としてはのみやすから要求してきたのである。
相手のことを全く考えないし考える余裕もなかったのである
そういう人が商売に成功するだろうか?
まず東北人は商売には向いていない、職人に向いているのは本当である。
自分も家で小商いしていても経験しているが全く向いていない、自分は何もしていない
商売に向いているのは関西の人である。
あんなに韓国まで行って買い物してねぎることができる
交渉がうまいのである。自分はかえってそれをまねして失敗した
中国人も商売上手である。それは近江商人とかの場所だっからDNAでそうもなっていた
東北人は農民であり商人のDNAに遺伝子にない、ただ伊達政宗は例外だったのである。

いづれにしろ現代は自分だけではない、金にはじまり金に終わっている社会である。
この辺で補償金でもめて分断されたのもそうである。
あらゆることが金にまつわるものとして問題が生じているのだ。
金がいいとか悪いとかではない、金がとにかく社会を人間を動かす社会である。
そんなこと昔もそうではなかったかといえば確かにそういうことはあった。

「金の切れ目が縁の切れ目」「ただより高いものはない」「地獄の沙汰も金しだい」

この諺を身をもって経験したからである。

現実にすべてこうして金にかかわって縁は切れたからである。
金しか要求しないものは金しかつながりがないものは縁は切れる
金でめんどうみてもらへ」と切れた人もそうである。
金でしかつながりがないからそうなる。
これは極端にしても極端なことにつくづく人間の真実がある。
本音が現れたところに人間の真実がある。
その本音の部分がマスコミできれいごとで隠されて言わないのである。

だから「心に青雲」とかネットで本音を語りやすいからわかりやすいとなる
難民をかわいそうだからと受け入れると国までのっとられるから受け入れるなというとき非情にも見えるが難民も必死であり相手のことをなど考慮する余裕がないからである。
どんどん要求だけしてくるしその責任を受け入れる側が負えるのかあとでまたそのことで国内でもめることになる
それはもう意思疎通できていない暴力的侵入である。
平和の時の移民は意志疎通して双方納得の上に移民を一応受け入れている
シリア難民はもうそんな意思疎通も何もない、相手は生きるか死ぬかの瀬戸際になると受け入れ側のことなど考えられないのである。
でも受け入れる方でも何か必ず慈善でもかわいそうだ思っても難民を受け入れる側でも責任が課せられるからそうなる。
捨てられた猫をかわいそうだとエサをやることでもそうである。
そうなると必ず野良猫が増えて回りに迷惑になるとかなりエサやりを禁止した市もあったそれも難民ともにているのである。
かわいそうならお前がめんどうみろとかなる。そうなると責任が課せられるから嫌だとなる
ともかく金にまつわる諺がこれほど身にしみたことはない
それは今も昔も同じ問題としてあったからそうなる
そうなると人間の世の中が今が特別そうではなく金というものはそういうものだとなる
ただ自分が世間というものがどういうものか社会とかかわらないからわからなかったのである。
そしてむしろ社会とかかわらなければこうした醜い人間のことを知らないから人間はみんないい人だと思ってしまっていたのである。
子供は人間の醜い面を知らない、知ることができないから幸せだった。
自分はカルト教団で学生のときかかわって以来ほとんど社会とかかわらない隠者だったからそうなった。
そこで反発したのがなぜそれほどまでに権力を宗教なのに追及するのかということ出てあった。それはまた金を追及していることでもあったのだ。

世間でもまれた人はこんなことは人間の醜い面は嫌というほど現実社会で経験している。なぜならビジネスではまさに常に金のやりとりだから金にまつわり人間の醜い面を嫌というほど経験しているからそうなる
「金とは何か」と考えるときこういう現実から金のことを考えねばならないのである。
金の最大の問題は金のために心まで売り渡す悪魔に売り渡していることなのだ。
それは政党でも組織でも団体でも会社でも東電でもそうだった
マスコミもそうであり金によってモラルを喪失してしまう。
弁護士でも認知症の後見人になった人がキャバクラで遊ぶために金を使ったとか
まさに具体的にこの事件などはわかりやすい
他ではなかなかこうしたことは隠されているからわからないのである。
金がなくてもいいとか金が悪いとかではない、金によって人間の心があやつられることなのである。
ではそうさせられないためにはどうするかということを考えねばならない
金が必要でも金に支配され心まで売り渡すようにならないためにはどうするかとなる
このことが現実社会では至難だから常に事件でも起きてくるのである。
まず欲をある程度はおさえないと金に心まで支配される
そのある程度は問題だけどやはり欲をおさえないと心も支配される
別に事業に失敗しても成功を装い借金する必要はない、でも見栄とか世間体とかいろいろあってそうなりモラルが喪失してゆく、それが一番怖いのだけどそういうものより金の魅力が大きいからみんな悪魔に金を通して心を売り渡しているのである。

意志疎通できない社会のことを書いたけど金でもそうである。
「金をくれ」とか家に入ってきていうことをそのまま実行する
そこに意志疎通がない、ともかく金が欲しいから金をよこせ、よこさなければ奪うまでだとなる
ところが

「私はこういう事情で金が必要なんです、、、、金を貸してください」
「そうですが、あなたの事情はわかりました、嘘ではないようです、考えてみましょう」

とかなる
金を貸さない方がいいというがやはり一応聞いてみるし離してみる、そこで互いの意志疎通があり了解して金を貸すなりなんなり対処する
それが一方的に金を出せばいいんだとあとは関係ないとなるとき強盗のようになってしまう。
意志疎通がないとき必ず人間は問題が起きる
金の問題でも双方で何かしら意志疎通が必要なのである。
江戸時代あたりになると狭い範囲で親密に暮らしていると日頃から意志疎通ができていたただその狭い範囲内、村の内とかであり村から離れると意志疎通ができないから隣村から来た麦つきの若者が大蛇だったとかなる
江戸時代には見知らぬ他者と交わらないことが多いが外部に村の外になると意志疎通ができないことが問題だったけど狭い範囲で暮らしていたから問題が起きにくかった。
今は膨大な見知らぬ他者は接する時代である。
だからあらゆるところで意志疎通ができないのである。
ニュースでもマスコミから流される情報はほんの一部だけどそこが拡大化されて報道される、そこに必ず誤解が生まれる、そういうことは現代で日常的に起きているのだ。
金が暴力的に働くのは意志疎通の問題がある。
金さえもらえばいい、金を出せ、理由はない、金を出さないなら殺すとなるとき強盗になり意志疎通が全くない状態でそうなる
だからテレビから流される情報は一方的であり誤解が非常に多いのである。
金は何かというとき互いに意志疎通させるものその媒介をするものとしてもある
一つのメデアでもある。それがかえって意志疎通をはばむものとなっている
「お前はなぜそんなに金をもっているんだ、俺は全くないんだ、働いても働いても金がたまらないんだ」
「自分はその金で贅沢などしていない、この金は親が苦労して自分に残したものだ
自分は親を介護したし今も介護している、そのためにも金を使っているし学問のためにも金を使っている、別に贅沢しているわけではない、、、、」
「そんなことしるかよ、俺に金がなくお前に金があること自体が不公平なんだよ」
「そうはいってもあなたにも何か金にならない、貧乏な原因があるんじゃないかな」

なんかこんなことでも金について話し合えば意志疎通ができてくる
それが全くないとき強盗になり殺人になるのである。
問答無用となるのではない民主主義とは互いの意思疎通のことである。それが基本にある。
いろいろ不満があってもともかく相手と話して相手を理解して意思疎通する
そこにはどんなことしても公平はないし不満が残るし犠牲もでる
でも暴力になるよりは殺し合いになるよりはいいという制度なのである。


タグ:金の諺
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