2015年10月10日

白河の翠楽苑を抽象画にする (日本の庭も抽象画?)


白河の翠楽苑を抽象画にする

(日本の庭も抽象画?)

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翠楽苑

ヨーロッパの庭だと庭園になり幾何学的であり抽象画的である。では日本の庭となると幾何学的とはならないがやはり抽象的なものになっている。
それが自然そのものではなく人工的に作るからそうなる。
自然のままを取り入れても人工的要素があるからそうなる。

京都の庭は竜安寺の庭でもなにを現しているかわからない、それは抽象化しているからである。海を現しているとしてもそれはあくまでイメージであり他のイメージにもなるから抽象画は固定して見られないと同じである。
庭は自然を抽象化した要素がある。

白河の南湖にある翠楽苑は翠(みどり)を楽しむとある、確かに松の翠が多いからそう名付けられた。
これもやはり人工的に作られたものだから何か自然とにていても違う。
それは一幅の絵に治まるように作られた。
自然になるともっと荒々しいものになるがここは穏やかであり荒れることがない
それは南湖でも同じである。

この翠楽苑を抽象化した、翠(みどり)と水がテーマだから適当にアレンジした結果こんなものができた。
翠であり水でありそれを抽象化したらこんなふうだろうとなる。
これも意図的ではない、偶然の結果だった。
ただ翠(みどり)を反映したものができたらとソフトで操作している内に偶然にできたのである。
つまり翠楽苑という人工的庭は抽象化されやすい要素をもっていたのである。
それは自然そのものではない、自然をまねてとりいれて人工化したものだから抽象画的だとなる
抽象画は具象画と違いいくらでも変化が楽しめる、自然も無限の変化のように抽象画も無限の変化なのである。それがパソコンのソフトで可能になったのである。

 
タグ:庭の抽象画
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