2015年10月05日

新築の家の秋の薔薇 (やはり人間は家に住み庭があると落ち着く)



新築の家の秋の薔薇


(やはり人間は家に住み庭があると落ち着く)

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しとやかに秋の蝶舞い去りにけり


新築の家に落ち着く秋の薔薇二輪静か午後の日のさしぬ


この道を今日も行くかな鶏頭に夕日のさしぬ十数本見ゆ



この辺で増えたの新築の家である。大東建託のアパートが十棟以上建った、これも多いなと思う、新築の家にしてもこれも何百軒建ったのかわからない
この家も最近建ってやっと庭も作ったのである。
そこに秋の薔薇が咲き午後の日がさして落ち着いた感じになった。
ここは一倍いい場所であり日当たりもいいし見晴らしもいいのである。
自分の家ではこんなふうに日はささない、何か路地の奥のようになっているから暗い感じになるのだ。
家はやはり立地がいいところを選べべきだとなるがそれもみんながかなうわけではない
あそこの土地は三倍くらいに高くなったかもしさないからだ。
でもなんか家が建って人が住んで庭も整備されて落ち着いたなとつくづく見た。
この辺は地震津波原発事故以来常に落ち着かない状態がつづいているし今もそうである。仮設はまだ変わらずにあるしプレハブの宿泊所はさらに増えている。
何かこうしたものは仮りのものであり落ち着かないのである。


自分の一身上でも今日は落ち着かずかけずり回った。
母が腰をぶってからポータブルトイレにゆくのがやっとになった。
厚寿苑でそのぶった原因がわかった。
一週間いるうちにポータブルトイレにつまづいたらしい
というのは夜間は人手不足でポータブルトイレをベッドの脇に設置していなかったのである。
それでトイレに行きたいと夜に行ったら騒いでいたのである。
トイレに頻繁に行くようになったから困った。便秘なので灌腸をしたり点滴もした


ともかく介護施設も人手不足でありそれで一人一人に手が回らない
そのことが腰をぶった原因になっていたのである。
すでに自分は姉と母の介護で十年にもなるから長いなとつくづく思った。
その介護であれ地震津波であれ原発事故であれ自分の病気であれこの十年近くは生活が追われつづけたのである。
だから落ち着かない状態というのは震災前からでありその後もさらに落ち着かない状態になっていた。

やはり人間は一軒の家に住むと何か落ち着いたなと感じる。
仮設とかプレハブとかには落ち着いた人間の生活は感じられない
やはり一軒の家に住み庭があり花が咲いているというときつくづく落ち着いた生活になったなと感じる。
庭も何か落ち着きを与えるものだった。日本では塀で囲まないから花など外から見れる所はいい、都会では塀で囲んでいるから何かものものしいとなり嫌だともなる


ともかく朝晩は寒くなり秋らしくなってゆく、それで明日は常磐高速道路で原町から大野までバスになり行ってみよう
ここは双葉などが通るから一度通ってみたいからだ
ただ日帰りになるだろう。そんなに回れない、なんか母のことが気になる
こういうことも何か落ち着きをなくしているのである。


タグ:秋の薔薇
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