細密な花壇
夏の川
抽象画は別に名前とは必ずしも関係ない、適当に名前はつけられる。「細密な花壇」「夏の川」としたが別に他にも名前はつけられる。これが別に花壇でなくても川でなくてもいい、抽象画は見る人によって違ってくる。だから理解しえない抽象画がかなりある。これはどういう絵なのだろうか?これは何を意味しているのだろうか?これが絵なのだろうか?でたらめな価値のない絵にすきないのではないか?具象だったらどんなつまらないものでも絵の才能が必要である。それが全くなくても抽象画は作れるから価値判断がむずかしいのだ。特にパソコン時代はとにかく膨大な写真文化の時代でありまた映像加工の文化である。パソコンは文章もそうだがコピ−文化でありこれは映像にも波及している。簡単に加工できるから原画が何なのかわからなくなる。するとそれは著作権違反となるのかどうか不明である。万華鏡などはいくらでもできる。これは才能というより技術的修練なことがわかった。とにかく百回くらいいろいろ試してみてこれがいいじゃないか、これは何か意味している、やはり一つの新しい絵なのかと思い出している。ただこれも加工しているのだからパタ−ン的に他にも同じものが作られているかもしれない、なぜならパソコンの加工は誰にでもできるし同じものもできる。これはパタ-ン化したものだからそうなりやすい、具象化だったら簡単に描けないからそうはならないのだ。パソコンの抽象画は絵を描く才能よりまずソフトを使いこなすことである。これがペイントグラッフィックの2千円のソフトでできたのだからいかにソフトを使いこなすことが大事でありこれは高価なもの買っても使いこなせない限り創作はできない、写真でもデジカメでいくらでもとれるといってもその人なりの見る眼があって写真も活きてくる。機械を活かすのはやはり人間なのである。
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