2015年09月25日

原発の専門家が肝心なことを知らなかった (吉田所長も知らない、直接たずさわった人も知らなかった)


 
原発の専門家が肝心なことを知らなかった

(吉田所長も知らない、直接たずさわった人も知らなかった)


原発の「安全神話」が間違いだった理由(1) 固有安全性の欠如(武田邦彦)
http://takedanet.com/archives/1040937013.html

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「非常用復水器(IC:アイソレーションコンデンサー)」です。ポンプを用いずに自然の作用を利用したもので、福島第一原子力発電所では1号機に設置されています
(2号機3号機にはせっちていなかった)
現場の責任者である福島第一原発の吉田所長は、ICが停止していることを知らずに復旧計画を立てていた
ことが明らかになっており、初動段階でのミスが致命的になったと専門家チームは見ています。
 「津波が来て全交流電源が喪失した状態で、(非常用復水器を)目いっぱい使いなさいと指示があれば、
原子炉の溶融を防げたかも・・・、本当に残念です」(北海道大学【原子炉工学】 奈良林 直 教授)


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吉田所長の手記がでていたけど吉田所長の専門は補修担当であり原子炉のことなど詳しく知らなかったという、ええ、あの事故の指揮をとった所長が知らなかった
複水機のことを知らなかったということはこれは重大なことだろう。
それで指揮できたの?これも不可解なのことである。
吉田所長は原子炉について詳しい人だと思うのが普通だからである。
そもそもその重要な複水機について知らないでどうして指揮できたのかとなる
そういう人がなぜ所長になれたのかというのも疑問になる。

直接原発にかかわった科学者の武田邦彦氏がが知らないで報告していたことをわびている別な分野の人が知っているということで安心していたという。
つまり原発というときそれはもう一人の専門家では知り得ようがないものだった。
それは別に原発だけではない、現代文明のあらゆる部門でそうなっている
最初のパソコンはたいがい相性が悪いとかで付属の部品が使えないものが多かった。
それはパソコンがまだ初期の段階で技術的に不完全なものだったからである。
パソコンの全容もまた知り得ないものだったし今でもそうである。
だから壊れたら初期化するしか方法がないのである。
そして会社では使えなくても責任はとらなかったのである。

そもそもそうして専門家すら原発の全部を知ることはできない、そしたら素人のものは全く知り得ようがないものだった。
専門家すら個々に分かれて全体を知るものがない、事故が起きると他の分野の専門家がうまく処置していたはずだとかなる。分野が違えばもう自分の責任ではないとなるし責任がもてないとなる。
それはあらゆる組織で起きていることである。役所でもそうだし医療でもどこでもそうである。
自分の課の問題ではない、他の課に行ってください、それは私たちの課の責任ではないですとなる。
法律の分野も様々な分野があり分かれている、ここでも法律全体を知る人などいないのである。


西洋の学問とか科学はまずは部分に分割して物事をみる、それで原子の発見につながった人間の体でも物質でもどこまでも分解してみる。
ところが人間の体は一つであり何らかつながっているから一つの臓器だけを直しても見てもわからないことがある。
全体が影響して部分も悪化する、全体から離れて個も部分もないというのが東洋的考え方としてあり漢方薬が生まれたのである。
つまり人間の体質に応じた健康法とか治療法である。
それも明治以降は西欧文明の医学のみが進んでいるとなり否定された
人間はやはり体質がありこれに応じた健康法が大事である。
だから人間の体質を実と虚に分けた見方は必要でありそれに応じた生活とか健康法を学ぶのがいい。
宗教も宗(むね)なる教えとなったときすでにいろいろに細分化していたから宗なるものが必要になったのである。
その東洋的なものが現代では不明になった。

結局文明には限界があり全知全能の神を作ったものでもないから必ず破綻する運命にある専門家となるとその人たちが原発のことを知っていると思ったが肝心なことを指揮する吉田所長まで知らないというのは意外だったのである。
それほど原発の全容を知り得るものはいなかった。
それは現代の文明全体もそうである。誰もその全体を知るものなどいないのである。
だから知り得ないからこそ必ず事故も起きる運命にある。
つまり事故はもう防ぎようがないのである。
「安全神話」ではなく事故は防ぎようなく起こるということを前提にして始めねばならぬものだったのである。
人間の作ったものは完全ではありえないからである。
人間自体も完全に作られたものではない、だから病気があり死がある。
だからこの世では人間は不完全なものとして生きるほかないのである。
そして人間の作るものは完全でないから事故が起きる、そう思うの当然なのに「安全神話」を専門家と権力者とかマスメデアとかが一体となり作り上げ宣伝していたのである。
もう宗教のように安全だ、安全だと唱えていないと原発は継続できないからそうなる。
その無理は事後につながったのである。
日本は神国だから負けないとなったのともにている。

もう一つは技術家が政治と経済の論理でねじまげられたという。原発の危険を言うなというときそれは政治と経済の論理であり技術者が危ない、安全を計れないとなればそれは技術者の良心が問われる。でも政治と経済の論理で技術者がいくら言っても負ける
ドイツのVWの車がソフトで偽っていたとしたらそもは技術者が知っていても会社の経営と経済からおしきられたとなる。
技術の力と政治、経済の力を比べれば技術者の力は弱いからそうなる
医者でも不用な薬と手術するのは技術者として良心に反していても経済の経営の論理からすれば仕方ないとなる。
そこには理系と文系の対立の構図もある。
でも技術者でも理系でも嘘をつくということはモラルに反する悪いことなのである。
もし嘘をつかないという単純なことを守ることができるならば事故にもつながらない。

フクシマ原発では再三指摘されていたけど「安全神話」で権力によって隠されていたからである。
戦争でも勝った勝ったとしか国民に知らせないのも政治家は軍人はマスメデアは嘘ついていたとなる。
要するに情報も権力によって操作される、科学技術者でも権力に従う、経済、経営を第一となり嘘を言うブラックなのがこの世だとなる
それで犠牲になるのは国民なのである。
ともかくこの世で上から下まで嘘をつかないという人間はいない、盗まない人間もいない、それは自分でもそうだったし正直に告白すればみんなそうなるだろう。
そういう単純なモラルが実行できないことから大きな事故が起きる、技術者のモラル、政治家のモラル,学者のモラル,官僚のモラル、、、、、
そういう指導するもののモラルが崩壊するときすべてが下でも崩壊してゆく
だから上に立つもののモラルは最も厳しくしなければならない
責任も厳しくなるから侍は切腹して責任をとった

でも現代は戦争でもそうだったが上の人は責任を逃れて誰も責任をとらない、それが日本のシステムだとなっている。
まずそんな体制だったら誰も真剣に物事にあたらないだろう。
どうせ責任などうやむやにすればいい、国民など簡単にだませる、あとは権力手中にして甘い汁を吸っていればいい、それができるのも権力のうまみだとかなってしまうし現実になっているのである。
要するに上に立って指導する侍のようなモラルに欠けていたのである。
それは明治維新後日本は武士道もなにもなモラルがない社会になった。
アメリカと同じように金のみが立身出世で利益を得ることだけが目的化したのである。
それは福沢諭吉の学問もまさに栄利栄達のためでありモラルはない
指導者がそうなっていれば下々も当然そうなる、つまり指導者の堕落というとき民主主義のおかしな点は指導者に選んだものにモラルを求めていない
大衆の団体組織の利益代表として選ばれたのでモラルがどうのこうのなど関係ないのである。
利益をもたらすものの代表として選ばれたからである。モラルがどうのこうので選ばれていなしそもそも大衆国民にモラルなどない、そしたら選ばれた人たちもモラルがない
だから議員があからさまに大衆にこびへつらうのは当選するためであるというのもわかる大衆もまた議員に求めるのはモラルではなくご利益になるからである。
だから民主主義自体がモラルを育まないものだとなる。






タグ:吉田調書
posted by 老鶯 at 22:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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