2015年09月16日

秋薔薇(移る季節)



秋薔薇(移る季節)

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介護する母にまつわる秋の蠅

一輪の秋の薔薇咲く我が庭に朝の静けく石に映えにき
しんみりと一輪静か秋の薔薇我が庭に咲き季は移りぬ
白々と秋の薔薇咲き空家かな我が見るのみに散りにけるかな
ノウゼンの夏の名残になお咲きぬ朝顔も咲き季(とき)は移りぬ
女郎蜘蛛巣を払いしも巣をつくる生きるためなる業なるかも



庭に一輪薔薇が咲いた、秋になって咲いた。
もう夏は終わり秋だろう、でも夏の名残がありノウゼンはまだ咲いている
他人の庭だがそのとたあわせがいかにも今らしい
秋の蠅が寝ている母にまとわりつく、一週間も施設でショートスティして腰をいためた。ボータブルトイレに立てないでいけないとか難儀した。
その補助もしないとなるとまた大変だと思った。
施設ではトイレの補助をしているからだ。
正直いつまで介護はつづくのだろうと嫌になる。
たいがい介護した人は長いので嫌になるのだ。
それでもうしたくないとたいがい言っている
自分もこれだけしたのだからやりたくない、介護にかかわりたくないとなってしまう。


人間は何か秋の蠅でも嫌なものから逃れられないようにできている
たいがい何か子供でも親でも負担を課せられている
障害者の子供をもち一生苦労する人もいる
今どきは何か子供で苦労している人も多い
ニートとかが増えているしそういうのも重荷になる。
もちろん子供に恵まれた人もいる。
でも子供で苦労する人が多いなというのも昨今である。
ともかく人間は何かしら負担を強いられる、そして自分もやがて年取ったり病気になると負担になる。
自分もこんなに親で苦しむとは思わなかった。
それだけ自分は特別良くされたからしかたないとは思う
一人はひどい認知症で死んだ
一人は延々と介護がつづく
介護はつくづく長いなと思う

女郎蜘蛛が蜘蛛の巣をはらってもはらっても作る、これも業(カルマ)だと思った。
巣を張らなければ餌をとらなければ生きていけないのだからそうなる。
これは殺さない限り家の回りに巣を張りつづけるのである。
蜘蛛が嫌だといっても蜘蛛にすれば巣を張り餌をとらねば生きていけないからそうしている。
人間でも世の中でもそういうことはある。
本当にこの世はカルマがきれない、延々と生きるものにカルマは消えないのである。
だからカルマを断てという仏教の教えもわかる。
それはこの世が終わるまで延々とつづくのである。
秋の蠅でもまとわりつく、何か嫌なものに死ぬまでまとわりつかれる
それは死ぬまで人間はそうした嫌なものから逃れられない
それはどうにもならないことなのである。

近くの空家は10年くらい人が住んでいない、なぜ住まないのか?これもなぞでありあの家のことは聞かない
近くでも知らないのである。そこに一輪白い薔薇が咲いて散る
見ているのは自分だけだというのも不思議になる。
その空家は別に荒れていない、時々人が来ているからだろう。
でもどうしてこんなに長く空家にしているのかわからない
税金の関係とか事情があるとしてもわからない
何か近くでもわからないことが多いのである。


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