2015年09月15日

鬼怒川の堤防決壊の原因 (原発事故ともにて失敗の法則もあるのか?)


鬼怒川の堤防決壊の原因


(原発事故ともにて失敗の法則もあるのか?)


原突事故がどうして起きたのかその原因を追及してきたけどそこには何か同じ法則のようなものがあった。
成功の法則があれば失敗の法則があるのだろうかとなる
鬼怒川は一級河川であり国土省の管理するものだった。
その管理を怠ったから国土省の責任が問われている。
その前に民主党もソーラーバネルを推進したから今になるとそれも原因とされる
いづれにしろ堤防も完全なものではない、おそらくスーパー堤防にしても完全ではない
どこで自然災害が起きるかわからないしどこに弱点があるかわからない
堤防自体が自然なものではない、自然に逆らうものだったということも不思議である。
なぜならナイル川であれ川というのは洪水があるのが自然なのである。
その洪水によって栄養のある泥が流れて小麦がとれエジプト文明が栄えた。
つまり洪水は自然作用でありそれがすべて悪いものではないのである。
だから堤防自体が自然に逆らうものであり決壊もするとなる
それで一部増水したときは水の逃す池を作るのは自然に逆らわない方法である。

今回の鬼怒川の決壊でも最初は私有地であり法律的には問題ないとかなるし私有地だからどうにもならないという議論がある。
これも明治以降私有地化された結果、公共の概念がなくなった。
入会権として村の所有地だったのが広島の土砂災害 でも私有地化されて細分化されて公共事業がしにくくなっていた。
そういうことも災害に結びついていた。めして原発事故の補償では家の前の海が私有の海だとして要求していたのである。
原発でも最初はその私有地を買い上げることからはじまる。それでその土地をもっている人が反対するばそこには建てられないという権利がある。
でも東電や国となると対抗できないのである。
たいだいは私有地があれば公共事業はしにくい、今回は私有地になっていて堤防の決壊につながった。

国家の役割が何なのか?国土省があるときそれは安全を守ることにあった。
それは原発でもそうだった。まず安全を守ることが第一として国の役目であり保安院を置いたが何の役目も果さなかった。
むしろ東電と国は一体となり「安全神話」を作っていた。
何か安全というとき企業でもそこに金を使うともうからないからしたくないのである。
だからこそ安全面は国でしなければならない、国で安全を管理することが役目となる。
今回のソーラーバネルが自然堤防を削ったとかが問題になったのは業者ではもうけだけを考えるからそういうことにもなりかねない。
国土省でも危険だと地元の人が陳情しても無視していた。
削った跡に土嚢を積んでいたということは危険の認識はあったということである。
ここでも私企業と国の関係に問題があった。
この私企業は規模が小さいけどそれでもこういう問題を起こしたのである。
東電は国並みの私企業だから違っていた。それは国をも支配できる力をもっていたのである。私企業は安全面が必ずおそろかになるのである。

そもそも日本は本当に災害の国だったことをまた認識された。
実際自分の家も二回も近くの川が氾濫して床上浸水になっている。特に自分の家が一番町で低い場所にあり被害が大きかった。
二回目は今回と同じように土手を削って道を作ったという農家の人が批判された。
そこから決壊したからである。これも今回の鬼怒川の決壊とにている
それでその農家の人はさんざん批判されていた。
確かにそれが原因だったとすると人災だったとなる。
ただ果たしてそれが原因なのかどうかは良くわからない。
その後は堤防は強化されて水害はなくなったのである。
つまりそうした災害の原因はどこかで同じようにあるということになる
今回の自然堤防を削ったのが原因かどうかははっきりしないがこれは大規模な水害となり人まで死んでいるから国土省まげ関係するようになったのである。
本当は日本では自然災害は不可避であり防ぐことができないものなのかもしれない
だから津波では海岸に津波の来るような場所に住んだやつが悪いとか
今回もあんな危険な場所に住んだ人が悪いとまで言われるようになったのである。
あそこはもともと沼地であり土地が低い場所だった。
それが宅地開発して家が増えたからである。
自然条件を考えないで住宅地にしたから悪いとなる。地震の液状化でも言われた。
地盤が悪い所に建てたやつが悪いとなってしまう。

要するに日本では地震や水害でも津波でも災害をまねがれない国なのである
そういう国になぜ原発のような危険なものを作るのか、それはどんな安全策を講じても事故は起きる、予測つかないからである。
だから津波の来るような海岸線には住まない方がいいとか水害の起こるような所には住むなとなる。
でも日本は狭い国だから危険な場所でも住まざるを得ないから必ず犠牲者が出ているのである。
ともかくソーラーバネルは自分の場合は最初は景観を破壊するので嫌だった。
実際に森を切って設置しているし台風などがきたら危険なものとなる
いかにも原発よりいいと民主党が宣伝したことも裏目になった。
そのソーラーバネルには税金が使われているからそれはエコではないというのもわかる。そしてこれも利権化して危険な面あったが無視されたのである。
結局エネルギーを何に頼るかとなると石油とか今は石炭が見直されている。
いづれにしろ必要悪でも今はそれしかないとなる。
ソーラーバネルなどはエコだといっても電気事業としては成り立たないとなり電力会社では迷惑だともされるからである。

国土省の責任が今回問われるとなるとか言われる。その国土省の大臣が公明党である。
つまりその堤防を削った近くの人が危険だと訴えたの国土省では無視したからである。
だから民主党だけに責任があるともならない、政治となると必ず責任が問われる
それは国土省の官僚の責任も大きいがその当時の大臣も責任が問われる
そうなると公明党の責任とか創価の責任まで問われる。
政治の責任と宗教の責任が違っていても何か政治と一体化すると政治の責任が宗教の責任になり宗教の責任が政治の責任にされる。政教分離しないとそうなりやすいのである。
殺人罪にすらなりえるからそういう立場になると責任がそれだけ重くなる。
でも日本では今回も誰も責任を問わないとなる。
文字通り水に流せとなる、そういう言葉が生まれたのもともかく災害が水の災害が常にあったのである。
八竜神社というのが実に多いがこれは水にまつわるものでありそれだけ日本では水の災害が多かったのである。
反面水が豊なのも日本である。津波もあるが海の恵みもある。
その国の風土にはプラスになるものとマイナスになるものがあるがそれは表裏一体なのである。

 
タグ:国土省
posted by 老鶯 at 05:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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