2015年09月04日

東京オリンピックのエンブレム問題 (抽象画をソフトで変化させるのともにている)


東京オリンピックのエンブレム問題


(抽象画をソフトで変化させるのともにている)


今回のエンブレム騒動はなぜ起きたのか、その背景も現代を象徴していたのかもしれないロゴとかデザインとかは昔からあった人類共通のものだった。
今回しきりにコンセプトとデザインの関係を指摘する人もでてきた。
コンセプトとは何かを象徴するものとしての概念である。
それはトーテムだったら抽象化されていないから犬とか鷲とかのトーテムでその部族を現すからわかりやすい、それは一つコミニュティをまとめるものとしてあった。
それはまた部族が分かれてその部族を識別するものとしてあった。
ただそれは何かそうなるべきものがあって犬とか鷲が選ばれた。
日本ではそれが紋と旗印になった。紋も何か謂われがありコンセプトがあり作られている水戸黄門の葵の紋は有名だけとその紋を通じてあれだけの力を発揮するということもあった。
紋というのはそれだけ端的に象徴するものとしてわかりやすいからそうなった
またその紋のバックには権力がありだからこそ力を発揮できた。
天皇の菊の紋もそうであり明治維新の時の錦の御旗もそうである。
ナチスの鉤十字の旗も何か悪魔的なものとしてあった。
要するにこうした象徴的なものは人間に言葉より影響力があるからそうなる

前にも書いたけど野馬追いの旗印が3000もあるというのはなぜなのかとなる
コンセプトとにているのが役割旗である。
一の旗でありこれは行列を行ったり来たりしているからわかりやすい
伝令の旗でありお使い番の旗である。
この役割とコンセプトは多少にているのである。
他にも野馬追いの旗には幾何学的な抽象画的な模様が多い
それは他と区別するものとして多様化したのである。

今回のエンブレム問題は背景も複雑だった。特権階級化して利権化した組織がありそれで佐野氏が選ばれた。
何か昔そうだったが職業が違うとわかりにくくなる。素人にはデザイン事務所があってそれで小さな会社のようになって仕事になっていて収入になるということが理解しにくい。これもやはりいろいろなものの商品の会社でも宣伝としてロゴやデザインが利用されることが多くなったからだろう。
でも紙パックなどの模様とかあんまり注意している人はいないだろう。
だからデザインにそんなに価値があるのかそれだけ仕事になるものだったのかとなる。
ただそういう需要が増えたからロゴとかデザインの仕事が現代では増えた。
ただこれが芸術的価値になると絵画とかと比べたら低いとみてしまうだろう。
抽象画が自分もパソコンのソフトで作ったからこれは素人でもできるものになったと思った。でも芸術性が高いとは自分でもとても思えないのである。

結局インターネットが普及してその結果として著作権の問題も素人でも考えざるを得なくなった。自分もインターネットにあるのをソフトで変化させて出してきた。
だから自分でもヤバイなと思うことがあるが原画とはまるで違ったものになっているから見分けがつかないと思って出してきた。
佐野氏のは原画とはっきりコピーしたとわかったから問題視されたのである。
だから何か創作なのか抽象画になるとむずかしい、つまり抽象画とかロゴでもコンセプトというけど人によって見え方が違ってくるからである。
今回のエンブレムも明らかに抽象画でありコンセプトと言っても決められない
黒い一本の線は何なのか?東京の頭文字のTだと言えばそうなるが一本の柱のようにも見れるし赤いのは太陽だということはわかりやすい、それは日本を象徴している
これが芸術性の高い作品なのか、コンセプトにかなうものなのかというと判断さまざまになる。
こんなの誰でも作れる小学生でも作れるというのも確かである。
抽象画自体自分も相当作ったが自分自身が芸術なのかどうか疑問に思うからそうなる。

いづれにしろ最近はインターネットが相当に普及している。それでネットを通じて類似のデザインを探されたことが致命傷になったのである。
インターネットは意外とわからないようでその足跡が残されていたり類似なものを見つけることができるシステムになっている。
外国までそれが探すようにできたというのも驚きである。
なにしろ数が膨大だから類似のものを探すことは容易ではないと思っていたからである。
ともかく抽象画と今回の問題は関係していた。抽象画は誰かの抽象画を変化させやすいのである。自分がそれをしてきたからわかる。
佐野氏はそれをあまりにも露骨にやりすぎたのである。
それははっきりと素人にもバレルものだったのである。

それとたいして芸術性もないものなのにその金額があまりにも大きいから問題になった
そんな金をつぎ込んで税金の無駄だとなった。そんなにそもそもデザインとかロゴが金になるものなのかという驚きである。
そもそも芸術は昔から金にならない、作家でも教科書のようなものを書くと金になるが小説そものもは金になちないとかと同じである。
絵画は金にならないがかえってロゴとかデザインとか芸術性が低いものが金になる
それは商品の宣伝とか会社の宣伝とかに使われるからそうなる
現実にそうしたデザインとかロゴが芸術品として後世に残ることはあまりないだろう。
抽象画もやはり芸術としては第二第三芸術となってしまうからだ。

今回のエンブレム問題はインターネット問題などとかかわって現代的複雑な問題だった。結局オリンピンクとか世界的なイベントには莫大な金が使われたことで問題になった。
そんなことしなかったら佐野氏をこんなに攻撃しないだろうしまずコピーしていたこと自体わからなかったろう。
自分もコピーして変えているが指摘されたこともないしまた自分のものがコピーされてもわからないのである。
別に金にもならないし目立たないからそうなっている。
普通はあまりロゴとかデザインを紙パックなどでも良く見ている人はまれなのである。
でもデザインなどがあれだけの収入になっていたことも驚きだったのである。
つまり売れない画家より事務所までかまえてやっているのだから金になる仕事だったということである。そこにまた著作権の問題が発生する根があった。
俺のデザインをぱくって金もうけているとなるからである。


タグ:エンブレム
posted by 老鶯 at 08:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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