2008年06月19日

今回の地震の震源地−堂所(どうどころ)のことなど


誰が参る山の御堂やすみれ咲く 


観音堂の辺りに畑打つ春の暮
 
今回の地震の震源地近くにこんな所があった。

昭和42年、堂所の早坂さん(この集落のほとんどの家が早坂姓です)が裏山の堂庭山に山芋掘りに行って、頂上付近で古瓦を発見。早坂さんはそれを泉町文化財保護委員会委員長の斎藤栄吉(私の養祖父です)に託しました
http://www.saito-norio.net/blog/archives/2006/07/06220821.php

 
堂所(どうどころ)-堂庭山−御堂は全国に無数にあるのだがこの御堂は御堂自体はなくなっていたのだがその瓦だけが発見されたのだが古い塔、御堂があったのである。多賀城と関係して建てられた塔とすると由緒ある宝塔が建っていたのだ。地名はその時から名づけられて地名だけが化石のようにあったのだ。実際にその地名の地から当時の瓦が発見されたのだから地名自体が化石のあり場所を示していたのである。これだけ地名は古いし変わらずに残っている。御堂の役目として旅人が泊まるのに利用された。雨露はしのげるし御堂は多いからである。でも旅をして御堂に泊まったことはなかった。駅に泊まっても御堂に泊まる人は今はないだろう。やはり信仰の場所だから泊まりにくいからである。
 
雨宿り何の御堂や夏つばめ
 
雨宿りしたことはあった。今回の地震で被害があったところは栗電とかがあった栗原市でありここで鉄道博物館とか地域振興にかかわる人が死んだ。栗原にはなくなるというので一回記念に乗った。一関から厳美渓にも行った、その上の方が震源地だった。栗電とか細倉鉱山の昔の住宅地を残そうとして働いていた。あとは被害にあったのは熊の湯という秘湯であり道路工事の人だった。そのくらいしか人がかかわらない場所だったのだ。ここでもかなり揺れたから怖かった。震度4でも相当ゆれる。仙台の地震のときは立っていられなかったから震度5だったのだろう。震度5だと立っていられなくなるから逃げることもできないのだ。あわてて表に飛び出してトラックに跳ねられて死んだ人がいた。それから仙台で漫画本とかに埋まって死んだ人がいた。これは自分にも身近なことだった。水害になったとき母があわてて米をもちだして水の中を歩き炬燵の堀りに落ちて大けがをしたのだ。緊急事態には人は必ずあわてる、あわてるから余計に事故にあいやすい、のんびりかまえているのもむずかしい、あわてず落ち着いて行動することがむずかしい。本に埋もれて死んだのも不運だったのか?本が落ちてきて死んだという例は中世辺りに実際にあった。教会の修道士が落ちてきた本で死んだ、当時の写本となると大きいし重いから本にぶつかって死ぬのも不思議ではない、私の家も本だらけである。狭い書斎にぎっしり本がある。高いところから落ちたら実際に危険である。ばたばたと落ちてきたら危険である。だから書斎はからは逃げた方がいいとなる。まあ、本に埋もれて死ぬというのも本好きなら本望なのか?冗談ではない、人間はつくづくどこでどんなふうにして死ぬのか予想できないのだ。
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