原町へ今日は相馬へホトトギス
立葵すくすく伸びて風そよぐ
庭残る濃き紫の菫かな
城跡の堀りの近くの家なれや螢袋に夕暮るるかな
城跡の堀りに黄菖蒲映えにつつここ行き来して相馬の暮れぬ
城の側守りとあれな岡田館その位置にこそ昔偲ばれ
立葵がいつのまにかに伸びて花を開いた。立葵の一番上の蕾が開くと梅雨が明けると天気予報官がテレビで言っていた。立葵も乾燥した明るい場所に咲くのに適している。梅雨の時期にあうのは紫陽花でありこれは日本の花である。今は外来種が多く入っているから日本の梅雨の時期にあわないものがかなりあるのだ。明るい大陸的な風土に咲く花が日本にあわない場合がある。薔薇もそうだがこれは四季に咲いて日本的にあうようになっている。でもあわない花もかなりある。それだけ花の種類がふえたのである。風土にあうというときそれは時間のなかでその国の文化として根付いたということである。自然も文化化されないと活きてこない、日本ではアメリカのような自然と違い自然は神道でもそうだが文化として昇華されている。日本の自然は人間化、文化として昇華されやすいためだった。日本語(大和言葉)にしても日本の風土と一体になって作られたものである。だから言葉はその国の根幹を成す文化であり本居宣長がそのことを明確に諭したのである。
今回は相馬市のことを相馬郷土史関連で書いた。相馬市の理解に役立つだろう。外から来た人にとってはなかなかその街のことはわかりにくいのだ。相馬市の中心は今も城跡のお掘りである。城や天守閣はないのだがあの濁ったお掘りが歴史の名残であり今も中心にあり人が行き来している場所なのである。
相馬市は城跡のお掘りが今も中心 (歴史は地理的位置関係が重要)
http://musubu.sblo.jp/article/16149710.html