2015年08月13日

フラワーアレンジメントも芸術的創造のセンスが必要 (花屋もただ花を売っているだけで商売となるのか?)


 
フラワーアレンジメントも芸術的創造のセンスが必要


(花屋もただ花を売っているだけで商売となるのか?)


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皇室の紋様

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花を見るというとき野の花とか高山の花を見てきた。
でも自分はフラワーアレンジメントをしたこともないし生け花も知らない
フラワーアレンジメントは野の花を見るのとは違う
そもそも外国の花が多いから日本の野に咲いてない花を扱うからである。
菊なら日本的な花だから菊からイメージするものが皇室とかなる

まずフラワーアレンジメントは花をランダムに挿すことからはじまる
単にそれだけで色が交じり合い一つの花の世界が生まれる
それはあんまり考える必要もないし創作的でもないが
これも偶然の結果として何か一つの美の世界が生まれる

これもただ偶然の結果である。ただ白藤と都忘れは合っているなと白藤に都忘れを添えた写真では都忘れが良く写っていない、だからまず写真の撮り方が結構むずかしいことがわかる
花をとることは結構むずかしい、これはまず写真の技術が必要になる
雑誌とかに出ているのは何気ないようでもプロが出しているから鑑賞に耐えている
素人は何かその辺が作れないということはある。
その一つが都忘れがうまくとれていないことだった

だからフラワーアレンジメントと写真の技術とパソコンの加工の技術などで写真でとってさらに配置などを変えて見栄えを良くする必要が出てくる。
つまりフラワーアレンジメントは写真をとり加工してみてまたそき配置を変えたりすることも必要である。
そういう相互作用を経て作品化してゆく
でもそれにはかなりの時間が必要になる、なぜなら花は枯れやすいからである。
花を見ている時間も短いのである。
だからこそ写真にとってその美の瞬間を保存する作用がまずあった

ともかくフラワーアレンジメントはやはり芸術の創作でありセンスも要求されるが技術も要求される、そして花の性質とかどう育てるかとも知る必要があるから
本当は花屋は意外と創造的仕事なのかもしれない
もちろんそんなことまでしないでただ花を売っているという店も普通である。
しかしそれだけでは本当は花屋という商売を活性化できない
やはり常に時代の最先端をゆかないと取り残されるということがある
あらゆるものがそうである。パソコンとかインターネットなどなくてもいいとかとなる
そんなものめんどうだからしなくてもいいとかなる
そうなるとなんでも時代に遅れてしまうということがあり店に魅力がなくなる
そもそも花屋はスーバーのようにただ花を売るだけではない
だから誰にでもなれるものでもない
花屋の人はフラワーアレンジメントはしている
それに感心してこの人はやはり花屋だからセンスがあるのだと思った
しかしせっかく飾っても売れないと正月に言っていた
それは高いこともあったが正月用として上手な作りだったのである

実際花の世界は今はこれもグローバル化して多様なのである。
いろいろ知らない花が外国から入ってくるのである。
すると知識も必要だしセンスも必要になる
つまり芸術的感性が必要な商売なのである。
花についての詩なども知っていればいいがそういう人はほとんどいない
何か現代というのは何でも機械化するとき人間の仕事は芸術的な創作的なものが
仕事として残るが機械的にできることは人間は必要なくなる世界である
するとこれからの課題は創作性を磨くことになる
機械にできないことは創作的なことだからである。


この辺のスーバーでレジの一部が機械化した、するとそれで人手が省かれる
事務でも機械化して事務員も必要なくなる
人手不足が騒がれているが一方で機械化して人手不足を補っている
弁当まで機械でオカズを配置して大量生産している
でも一方で手作りの味は人間にしかできないとか人間にしかできないことが貴重となり高価となる
第一本を売るだけの書店でも創作的なことがない誰にでもできる仕事である
もしその本を読んで感想を批評できるようだと違ってくる
ただこれも相当な知識と創作性が必要になる
書店でもそうだが何かどこでもただ売っているだけでは創作性がないのである。
これからの仕事は何でも創作性が必要になる
佐賀のうどんとかソーメンは他のよりうまいとか蕎麦でも会津のはうまいとかなるが
それも創作性であり同じものだったら価値がなくなるのである。
何か芸術というとき特殊ものもをイメージするがどこでもそうした創作的なものがないとどこでも同じだとなると魅力がなく売れないとなってしまう
貧乏な時代なら味よりただ腹一杯になればいいですむが今のような贅沢な社会はそうならないのである。


タグ:花屋
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