分断されて帰還がむずかしい原発避難者
(現代の広域経済なども影響してばらばらになった)
双葉町となるとあれだけ原発に近いのだから補償金でも何でも一つにまとまるように見える。実際は補償金でも違っていて四つくらいにさらに分断されているとういう。
中間貯蔵施設問題でも地権者に賛成派と反対派がいて分断されていた。
双葉とか大熊町となると外からみればどこも放射線量が高いと思うがそんなところでも放射線量で区別されている。
だいたい土地はつながっているのだから空間だってそうだしそんなに区域を分けること自体が疑問だった。
南相馬市でも30キロで区切られてその区切られた隣り合っても補償金がもらえる人ともらえない人がでてきて分断された。
自分の住んでいる場所は30キロ圏外であり除染をはじめるという連絡がきた。
0.3以上は除染するというがここは0・2であるからしなくてもいいのかと思った。
ただ一部樋の下などが高い、でも地域的に一軒でも除染しないと回りに影響するから
地域の人と相談した方がいいと言われた。
つまり一軒だけ除染しない勝手にすると回りに影響するからだ
このことを考えると地域的に放射線量で分断して補償金の差をつけたりしていることが納得いかないのである。
もし隣合っているならほとんど実際は放射線量は変わらないし風でも隣から飛んでくるのだから同じことなのである。
水だって流れてきて泥でセシウムが運ばれてくるから一地域だけを除染しても無駄にな
放射性物質の問題は一地域を除染したりそこだけをとりのぞいてたからといって解決しないのである。
点の問題ではなく面の問題として放射能汚染があるのでありそんなふうに分断したのはなぜだろうと前から疑問だった
つまりそれは双葉町でも大熊町でも南相馬市でもどこでも政府や東電で意図的にわざわざ住民の心を分断させるために補償金で差をつけたのかとなる
住民同士がいがみあえば補償金でもまとまって払う必要がないとなる
まとまって交渉されると圧力が大きくなるから補償金を支払う方では困るからである。
結局そういう政府や東電のずるい意図に住民もはまり操られたともなる
ともかく大熊町とか双葉町や浪江町は旧相馬藩内だから南相馬市とかと連携して協力して解決策を求めてゆけとなるのもそれも簡単にはいかないだろう。
第一鹿島区に避難した小高の人たちとすでに補償金でもめてここも分断されているからである。
小高の人は全部ではないにしろ金もらってかえって威張っているとかなっている。
このことは別にここだけではない原発避難者として同じなのである。
イワキであれ二本松であれ会津であれ福島市であれ原発避難者は補償金をもらっていても受け入れた市はもらっていないからである。
そこに大きな不満がある。相馬市すら原発避難者に大きな不満がある。
なぜあの人たちは働いていないのに贅沢しているのだろうとなる
女性はこまかいところを見ているからスーパーで高いものを買っているとか見ているのである。
いくら同じ相馬藩としてめんどうみろとかいわれても今の時代はまた違っていてむずかしい。
避難先のイワキ市とかに双葉町とか大熊町とか浪江町とかを作る計画をしたがこれも無理だとなった。
なぜなら一つの市にまた別な町があることは摩擦を生み困るとなる。
そして一体避難者はいつまでも補償金をもらえるのか?補償金で暮らす気なのか
なぜあの人たちは補償金でいい車を買い毎日遊んでいるのか?
真っ先に土地も買い家も建てているのか、前からの住民は金もないからかえって土地が上がり家も建てられないとなり不満になる
ある人は浪江の人は避難先で遊んでいるのもまずいと商売をはじめたが地元の人に世話になっているのに競争を相手となり客を奪ってしまうのが気がひけるとか言っていた。
なぜそういう問題が起きるのかというと数が多いためなのである。
ある市や町に一挙に2000人とか移住するということが摩擦を生んだのである。
これば百人単位とかで散らばったらそんなに摩擦にならなかったかもしれない
一挙に2000人も増えたら一見人口増えて経済的にいいと思うが実査気はそうはならなかった。
別に補償金をもらってその町に金を使っているのだからいいじゃないかとならなかった。
補償金もらって毎日パチンコ通いだとか遊んでいるだけだとというとき批判された。
そして何でも原発避難者は病院でも介護でも優先されて地元の人は後回しにされたりと不満が大きくなったのである。
実際復興に働いたのは地元の人ではない、外から来た人たちだったのである。
地元の人は遊んでいたからボランティアの人とかは喧嘩になったというのもわかる。
これも現代を象徴している、広域社会になると地元だけの経済ではない、全国と関係しているし外国とも関係している、食料でもどこからも入ってくる。
もし自給自足のような小規模な経済だったらこんな問題は起きていない。
もちろんそういう経済はまともに電気もない生活だったから比べることもできない
とにかくこの辺で大東建託とかがアパートを十棟以上も次々に建ったり建売住宅も次々に建った。それは地元の大工さんとか建築業者がしているのではない、働いているわけではない、今は組み立て式だから地元の大工さんが地元の材料で建てることもないのである。つまり全く地元の人がかかわらないでも家が建っているのである。
金さえあれば建売住宅で一週間くらいで組み立てて建ってしまうのである。
だから金さえあれば別に避難した先の人に世話になるということでもないとなる
そうなると避難した先でも別に何の世話にもならないとなりかえって威張っているというふうにもなる
それで地元の人と軋轢が生まれたのである。
そもそもなぜ原発避難者が一つにまとまらないのかというとき政府とか東電によって放射線量で地域を分断させられたこともあるがこうした広域化社会になったということもあった。
小さな町でも村でも広範囲に全国と世界ともつながり生きている社会なのである。
だから田舎でも隣近所が助けあわないとか疎遠になるとかあった。
それはとりもなおさず隣近所とか狭い地域で助け合わなくても生きられる社会になっていたからだろう。
そういう現代の社会も影響して分断されてしまったということがある。
こうなるとやはり日頃の生活が問題になる。例えは大工さんとか手に職をもっているとか何か技術をもっているとか故郷を離れても仕事ができる人は強いとなる。
今は人手不足だからどこでも受け入れるからである。だから看護師は原発事故以後すぐに移住した人も多い、南相馬市立病院では半分がたちまちいなくなったとかあって問題になった。
故郷を両親や祖父母を見捨てるのかとかとも言われた。
農業とか漁業となると他に移って簡単にはできない、一部でしても土地が必要だったり簡単にはできない、でも大工さんとか看護師とか他に手に職をもっていたり技術をもっている人は就職しやすいからどこに行っても移住しても生活できなるとなる
だからいろいろもめているのもめんどうだから移住してしまって帰らないということになりやすかった。
いづれにしろ避難した人が2000人とかなるとその人たちは目立つしもし浪江町とかとしてまとまって住むとなるとこれも問題なになる、同じ町に別な町があることは軋轢を生む
そしてその人たちがみんな避難した先で貢献できなるのかといったらそれもむずかしい。でも大堀の陶工は白河市とかに窯をもって定着したという。
それも技術をもっていたからできたとなる。
やはりこういう困難に直面すると日頃の生活がものいうし影響するともなる
ニートとか遊び人のような人も補償金をもらって喜んでいたがではそんな人を他の土地で受け入れるかとなるとならないだろう。
そして補償金はいつまでももらえるものではないのである。
だからよその土地で針の筵(むしろ)のように思って暮らしている人もいるかもしれない
補償金もらっているからとなんてもいいとはならなかったのである。
「この家は誰が建てているんですか」
「大東建託だよ」
「地元の人はかかわらないんですか」
「かかわらないよ、全国から来ているよ」
「津波と原発の被害では沖縄から北海道まで全国から来ている
地元の人は別に何もしない人が多い、パチンコ屋通いとか批判された」
「自分などは大東建託という会社に勤めて金をもらっている
別に地元に貢献するという意識はない
仕事があれば全国に派遣されるだけだよ、自分たちは会社員なんだよ
会社にさされば全国どこにでもゆくほかない、自分たちにとって大事なのは会社だよ
自分たちが住んでいる所じゃない」
「補償金もらって原発避難者が家建てているけど」
「そんなの関係ない、金さえもらえばいいんだよ、地元の事情は自分等には関係ない」
今の社会はこんなふうになっている。
でも地元の人が避難者のために家を建てるとなると違ってくる。
「この地域は補償金などもらっていない、それなのに補償金をもらっているよそ者のた めに家を建てている、働いているというのも納得いかない、
自分たちも被害者なのだから補償金もらいたのだ
補償金もらって遊んでいま人のために働くの馬鹿らしい」
こんなふうになってしまうかもしれん、広域経済では日本国内だけではない世界ともつ ながるから狭い地元のことを考慮しない社会なのである。
何かそういう矛盾が原発避難者と受け入れた側の軋轢を生んだことは確かである。
「大東建託だよ」
「地元の人はかかわらないんですか」
「かかわらないよ、全国から来ているよ」
「津波と原発の被害では沖縄から北海道まで全国から来ている
地元の人は別に何もしない人が多い、パチンコ屋通いとか批判された」
「自分などは大東建託という会社に勤めて金をもらっている
別に地元に貢献するという意識はない
仕事があれば全国に派遣されるだけだよ、自分たちは会社員なんだよ
会社にさされば全国どこにでもゆくほかない、自分たちにとって大事なのは会社だよ
自分たちが住んでいる所じゃない」
「補償金もらって原発避難者が家建てているけど」
「そんなの関係ない、金さえもらえばいいんだよ、地元の事情は自分等には関係ない」
今の社会はこんなふうになっている。
でも地元の人が避難者のために家を建てるとなると違ってくる。
「この地域は補償金などもらっていない、それなのに補償金をもらっているよそ者のた めに家を建てている、働いているというのも納得いかない、
自分たちも被害者なのだから補償金もらいたのだ
補償金もらって遊んでいま人のために働くの馬鹿らしい」
こんなふうになってしまうかもしれん、広域経済では日本国内だけではない世界ともつ ながるから狭い地元のことを考慮しない社会なのである。
何かそういう矛盾が原発避難者と受け入れた側の軋轢を生んだことは確かである。