そもそも万華鏡が創作なのか?これは別に機械的にできる抽象画の摘出である。創作しているのはコンピュタ−である。でもコンピュタ−はこれが芸術だとは言わない、人間がコンピュタ−で加工したものをこれは芸術だと主張することになる。何かしらの意味を見いだすことになる。万華鏡の加工をしてきたのでテレビのデジタル画面がはっきり写らずモザイク模様になったのである。あれこれは一瞬抽象画だと思った。それで今度はニュ−スの画面を万華鏡にしてみたのである。テレビの画面は複雑な模様を作ることがあるからこれを万華鏡にしたらどうなるのか抽象画になりやすいと思った。それでデジカメでとって抽象画にしたのがこれらであった。緑−土色−青と何かやはり抽象画でありこれが何を意味しているのか?一つの村のイメ−ジかもしれない、中心に青があるのは鉱石が閉じ込められているのか、外側は土や木のイメ−ジである。これは陶工が偶然に火の加減で焼きだされるものににている。火の作用で偶然にできたものが芸術になっていたのだ。一瞬これは独特の美だと発見したのである。相馬焼の青ひびなどもそうである。偶然に発見されたのである。コンピュタ−の抽象画は無数にできるとするとこれが芸術になるのかどうかは今は確定できないだろう。ただやはり一つの美の創作としてコンピュタ−があったということは確かである。
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