実りそめた稲と里の山と森
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老鶯に耳傾ける森の道
草原に雷雲わきて走るかな
白に赤芙蓉の映えて里の山
ゆったりと芙蓉のあまた暮れむとす
復興や実りそめにつ山仰ぐ
前畑に隣も夏菊映えにけり
夏菊のここに光を集めけり
いくつかの蝉交じり鳴く里の森
原町のイオンに行って買い物した。2000円で安いものを買ったから得だった。
鹿島のスーパーは一つしかなく高いし不便なのである。
今の時代は便利な所に住むとかえって物価でも安くなる矛盾がある
あまり不便な所に住むメリットがないのである
ただ自分にとっては自然がないところには住めない、山とか森でも近くにあり川が流れ海がある。そこには木陰があり涼しいのである。
今日は昨日よりは涼しかった。でも仙台で今日も35度とかあったというから驚きである。海に近いところはそんなに暑くならない、仙台は都会化して暑くなったのだろう。
復興というとき原町の田んぼの稲穂が実りそめていた。そして山を見たとき何とも言えないものを感じた。
田んぼと稲穂でも山と結びついている、山は単なる山ではない、前にも書いたけど水を供給する山で羽山、葉山信仰となった、山には先祖が住むというのはそれは稲作が始まってからの信仰なのである。
日本のその原風景は単なる風景ではない、日本人の心にもなってきた風景だった。
だから復興というとき田んぼがないと復興した気分になれない
その田んぼの米は本当は地元の人が食べるときその土地に愛着をもつのである。
故郷とか土地に愛着がうすれたのは食料でも外部から何でも入るからである。
金があれば買える、別に地元のものでなくてもいいとなる。
そして金さえあればどこでもいい便利な所に住むのがいいとなってしまった。
そして原発事故ではみんなばらばらになってしまうった。
全部原発事故のせいのようだがそういう状況が前からあったから原発事故を契機にして現実化したともなる
里の山というときもっと近いだろう。ちょっと遠い山にはなる。
でも葉山はそれほど遠くないしまた高い山ではないのである。
それは稲作と結びついて信仰になったのである。
奈良の三輪山なども高くない山である。とにかくこの辺の自然変化はまだつづいている。草原化したときクローバーの野原になった。
クローバーを馬肥(うまごやし)というのが実感としてわかった。
中国の汗血馬を養ったクローバーとかあり馬肥しというように栄養分が高かったのであるまず日本では草原というのはないしわからない、それがこの辺で草原化したので不思議だったのである。
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