2008年06月14日

睡蓮の名の由来

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晩年は家事に介護に暑さかな

病院のビルの高きや夏の山

the hospital is the highest building
I look forth the summer mountain


黄菖蒲や道々それぞれ仕事かな

子に若き大人の鯉や夏の池

睡蓮の悪しき夢見ず花閉じて眠るや明日も開く幸せ

睡蓮の花の閉じにき今日一日光の中に咲きし幸せ

水底に月を覗きて睡蓮の花の閉じにき眠るこそよし



花が夜は閉じて朝また開くところから睡蓮の名前があります
 

ここに睡眠から名づけられているから名前はその花の特徴をとらえている。
睡蓮と蓮はまた違ったものである。睡蓮はより水と結びついている。水面近くに咲くからである。睡蓮はナイルの岸辺にも咲き「エジプトの花嫁」とあるからエジプトでは親しい花だった。蓮はインドが発祥の地であり暑い乾燥したところに咲いていた。菩提樹の下で悟りを開いたお釈迦様とか池には明るい日ざしのなかで蓮が映えていた。梅雨の時期に咲く蓮の花はあっていない、もともとインドの炎暑のなかで咲くの蓮だった。だからエジプトにはあっていたのだ。英語でwaterlillyである。このキ-ワ-ドで外国のサイトに広範囲にリンクされている。

 waterlilly22.jpgliliyvvvv1.jpg
 
 
花はそれぞれ神の与えられイディアに咲く、ただ一重に神のおぼしめのままに咲く、悪しき夢も見ない、花は夜閉じてまた明日開く、夜閉じた睡蓮を見ていないから睡る花だと知らなかった。人間は誰しも悪しき夢を見る、花は全く悪しき夢を見ない、私も悪しき夢にうなされる。罪は悪しき夢となる。罪のない花は悪しき夢を見ないから幸せなのである。人間金持ちになっても必ず悪しき夢を見る。そういう金持ちはやはり不幸なのである。金持ちが不幸な人が多いという時、金儲けには何かしら悪いことでもうけることがあるからではなか、本人は自覚していなくてもそうなる。トヨタでも幹部は銀座で豪遊して散財していたというとき派遣は汲々として働いていたとなる。こういうことは人間社会ではつづいてきたから現代も同じである。子供は悪しき夢をあまり見ないから幸せなのである。だから幸せは金だけでは得られないのである。睡蓮が睡るであるとき現代は眠らない社会である。だから疲れる社会なのである。過労死の社会である。文明は暇を産むはずだったが過労社会になっているのは文明は人間を幸せにはしないのである。江戸時代は大工は半日しか働かなかったとか今の働き方は異常である。自動車という便利さを追求すると人間は皮肉なことにその便利さのために過労になってくる。トヨタの派遣問題もその象徴だったのである。
 
そういう自分の現況は家事とか介護に以前として追われている。前よりは楽なんだけどやはり買い物とか家事がそれなりにあるから追われる日々である。だからじっくり長い文章が書けないのは同じである。そもそも長い文章は相当暇でないと書けない、俳句とか短歌は短いから仕事の合間に作れるが小説とかなるとむずかしくなるのだ。池には子供の鯉とか若い鯉 大人の鯉がいる。このなかには鮒がいたみたいだ。それで鯉と鮒とキ-ワ-ドで調べたら
 
不断立つ 池鯉鮒の宿の 木綿市 芭蕉

池鯉鮒は「ちりゆう」と読みます。この難解な読みの地名の由来は、この地の古社である知立神社の池に鯉と鮒がいたことでその名がついたと言われています
http://www.milkcafe.com/~bruce/kaidou/guide/39tiryu.htm

 
鯉と鮒は交じっていてわかりにくい、鯉がいるところに鮒もいるのかもしれない、インタ−ネットの面白さはキ-ワ-ドから知識がリンクされて拡大化してゆくことである。
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