2015年08月05日

戦後経済十年の不思議 (自給自足で外から入る物がまれな時代)



戦後経済十年の不思議

(自給自足で外から入る物がまれな時代)


戦後十年くらいの経済はふりかえると不思議である。小学生時代まで経験したことは今と比べるあまりにも違っていた。
ただ子供のとき経験したことと大人になって経験することは違っている。
子供のときは貧しくてもそんなに貧しさとか感じないということもある。
その頃確かに貧しかったのだが貧乏でいやだなとかみんな感じなかったろう
みんな同じような暮らしをしていたからだ
ただ違っていたのはかえって農家の方が豊かだったのである。
食料が自給自足のような時代は自家生産している所が豊かになる
農家ではまず鶏を飼っていたから卵が食べていたし鶏の肉も家で殺して食べていたのである。納豆までも自家生産だったしなんでも自給自足が基本だったのである。

こういう自給自足生活は江戸時代から戦前と戦後十年くらいはつづいたのである。
燃料は炭であったから山の方では炭焼きをしていて街に供給していた。
水道はなく裏の小川で洗濯していたし料理は竈でもあった
トイレは離れにありその糞尿は近くの農家の人が肥料としてとりにきていた。
それは百万都市だった江戸でも同じだったのである。
便をふくのは新聞紙だった、新聞は何かいろいろ紙として役にたった
今のように石油から紙とかいろいろなものを作れていないから紙も貴重だったのである。勉強でも鉛筆は相当な貴重品だった、それは戦前の話になるがもう手でつかむことができないほど小さくなっても使っていたのである。
物というのはあらゆるものが貴重だったのである。


自分の家では最初駄菓子屋のような子供相手の店をしていた。
新聞紙は母が毎日袋を作っていた。お菓子でもなんでもばら売りだったからである。
酒でも一合とかを買いに行かされていた。
何か買うとうしたら隣近所にある店を使っていた。
魚屋があり豆腐屋があり酒屋があり駄菓子屋があり呉服屋があるかである。
そして確かに鉄道が通っていて外から物が運ばれてきていた。
それは実際は鉄道で多くのものが運ばれていたのかどうかわからない
駅前が栄えたのは鉄道があったからということは確かである。
それで駅前旅館とか駅前に自転車屋があるのは自転車が鉄道で運ばれてきていたからである。
それから引き込み線がありそこで荷物を運んでいた、縄屋とかあるのは縄が梱包するのに必要だったからである。

ただその時の経済は外部から入ってくるのは少ない、例えばバナナは戦後十年くらいまで普通に食べいない、バナナの叩き売りとあるのはアキイチとか祭りとか特別の日に売っていたからである。
自分の家では父が病気になったとき仙台からバナナを買ってきたのである。
この辺ではバナナは常時売っていなかったし高価なものだったのである。
まず外国から入るものは都会では一部あったにしろ輸入してまで食料が入る時代ではなかった。
記憶としてはミカンは食べていた、ミカンは東北ではとれないから鉄道で運ばれてきた
なぜならその時トラック輸送などはあまりしていない、鉄道が遠距離輸送をになっていた

戦後十年くらいは物がないから物があれば売れたという時代だった
でも野菜とか米とか食料は国内というより地元のしか食べていないだろう。
自分の家で店をしていたとき、姉は力があり自転車で野菜を近くに買いに行っていた。
自分は子供のとき自転車で農家に卵を買いに行っていた。
当時の店は何でも地元で生産されるものでまかなっていた。
自転車というときそれは一生使うものでありいつも磨いていたのである。
姉は保健婦であり自転車で一軒一軒回っていたのである。
こういう自給自足の経済というのが理解できなくなっている
例えばさらに鉄道が通らない、山間部でこの辺だと葛尾村(かつろう)とか飯館村などがあるがそこではどんな暮らしをしていたのだろうとなる
まさに江戸時代からの継続で自給自足になる

家事にしてもその頃電気製品は一切ない、家には裸電球一つがどこの家でも同じだった。自分の家はトタン屋根でいつも雨漏りがしていた。洗面器を並べて雨漏りの水をためていた。その時道は舗装されていない、土ぼこりのたつ道だった
ただわからないのは野馬追いのときその土の道は車が来たのを数えていた
そのとき車は確かにあった、それはバスが中心だったかもしれない
自家用車をもっている人はその時まだほとんどいないだろう。
でもそんなに車が来ていたというのも不思議である。
バスと鉄道が交通手段だった時代である。
リヤカーは物を運んでいた、それで農家の人が梨を積んで相馬市まで売りに行ったというのを聞いた。原町や中村(相馬市)くらいは物の売り買いはあった。
明治時代には天秤棒で川俣まで鹿島の人が鰻を川俣に売りに行ったという話を聞いて信じられなかった。天秤棒で歩いてそんな遠くまで行けるのかと思った。

それは江戸時代とまるっきり同じだったのである。
でもその範囲を越えると物の売買はむずかしくなる
今になるとそういう自給自足の暮らしが理解しにくくなった
人間はもともとそういう自給自足の暮らしが江戸時代から戦前戦後十年くらいまでつづいていたということが今になると不思議なものになる
今や大工すら地元で家を建てるというのではなく建て売り住宅で大東建託とかが
この辺では津波原発事故で十棟くらい建っているのに驚く
それはみんな会社の人がきて組み立てているだけである。
自給自足というときもともとは地元の資源を活かして地元の人が働いていたのである。


現代は国内だけではない、グローバル経済だから外国から当たり前のように食料でも入ってくる。でもそんなに外国から食料まで入ってくることに違和感を覚えることがある
もし何か天候異変とか戦争とかがあり食料が外国から入らなくなったらどうなるのか?
そういう不安がある。東京ではもう食料は国内産でなくてもいい安いのが外国からいつでも入る、日本の農業が金がかかりすぎる、都会の人間が税金をとられすぎるとかなる。
自給自足の経済だったら外から入らなくてもなんとかやっていけるという安心がある。
これだけグローバル化する経済は誰も理解できない
カナダの国債がいいから買ったがカナダは石油資源があるから格付けで世界で一番いいとか言われるとそうなのかとなる。そうしたら日本の国債を買う人は少なくなる
これもどうなっているんだろうとなる。金はグローバルに流通している。
だから金持ちは外国に投資して危険回避するためにあずけている
こういうグローバル経済広域化経済が社会を根本的に変えてしまったのである。


なぜこの辺で原発事故で人が住めなくなった地域で避難した地域が沖縄から北海道までになったのか?
普通ならイワキとか相馬市とか南相馬市とか新地くらいまでならわかる。
こんなに全国にちらばったのはなぜなのか?
その市町村で受け入れるということもあるが何らか親戚関係を頼って避難したということもあるだろう。
今の婚姻は遠くになるのが当たり前であるからだ。
そしてあらゆるものが家を建てるにしても大東けんたくとか建て売りであり外部から来ている
だから自給自足とはあまりにも違っている社会なのである。
それがどういうふうに影響するかというと前にも書いたが金さえあればその住んでいる場所にこだわらない、金さえあればどこに住んでもいいとなる


川内村とかでは不便な場所だから補償金もらって郡山市にすんだら帰りたくないとなったのもわかる。
こういうふうに何か自給自足経済ではない、金があれば九州産の食べ物であれ外国の食べ物であれ買って暮らせばいいとなれば地元のものにこだわる必要がない社会である。
そうなると一億円もらった他で暮らせばいいなってしまい避難者は帰らないとなり
町や村が簡単に解体してしまうということがあったように思う。
また自給自足の経済でこんな事故が起きたらそれこそ水も土も木まで汚染されたのだから壊滅した。
不思議なのは別に飲み水は金で外部から買って使っているし放射能に汚染されないものを外部から金で買えばいいとなる。
ただ補償金はいつまでももらえるものではないからそれが打ち切られたら金が入らないし自家生産できなければお手上げになってしまう。


ともかく今を知るには今だけでは今がわからないのである。
そこに昔を過去を歴史をふりかえり今が何なのかを知るのである。
例えばなぜ結婚しない人たちが増えたのか?特に男性に増えたのか?
それはフリーターとか派遣とか若者に経済力がないからだとかいろいろ言われる
それも理由だが今は一人暮らしでも結婚していないくても家事が楽なことも原因かもしれない
自給自足の経済になると家事は大きな仕事になる
洗濯でも手で洗っていたし食事の用意だけで大変な手間がかかることになる
それを男が一人でやるということはかなりの労働になってしまう


だから戦前では中産階級ですら二人の女中を雇っていた。
家事をするたげでそれだけの手間がかかったからそうなった。
今は機械化しているし外食も便利だし金はかかっても手間はかからないのである。
このことは一人くらしでも楽であり結婚しなくてもやっていけるとか思うようになる
自分も七年間家事をしてきたけど今母を施設に三日ほどあづけたら楽である。
自分一人のことだけなら本当に楽である。
まず朝はパンだから手間がかからない、昼間だってちょっと外食すればいいとかなり
夜は多少料理をしても他は楽である。
だから今や結婚して外で働く主婦が多いが主婦の専業の方がいいというのもわかる
つまり昔のように手で洗濯したり何でも人間の力でしている時代とは違う
みんな機械でやると主婦は楽である。


とにかく戦後十年くらいの子供時代の経験は貴重だった
あういう生活があったということが今になるとあまりにも今と違いすぎる
その対比で現代が何なのかとか今回の原発事故を問いなおすことも必要である。
ただ自給自足生活というのが理解できなくなった。
戦後十年とかさらに二十年とか三十年とかなるともう全く経験していないのだから理解できなくなった。
そういう生活もあったということを知る必要がある
そして現代の生活を見直すと原発事故がなぜ起きてこんなふうに故郷にも住めなくなったのか、こんなに外部頼りの生活でいいのか?こんなに便利で金に頼る生活でいいのか?
何かそういうことを考えるには昔を知る必要がある





タグ:自給自足
posted by 老鶯 at 12:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)
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