2015年08月03日

創価学会が安保法案に反対!デモで公明党決別宣言!自公連立を解消か?米国のカルト指定と板挟み



創価学会が安保法案に反対!デモで公明党決別宣言!

自公連立を解消か?米国のカルト指定と板挟み

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against fascism

これもブラックユーモアだな、なんか年配の人が多いみたい



創価で学生時代活動していたから内部を熟知している。創価が宗教団体だとすると信教の自由は認められているからそんなに批判されないかもしれない、法律的に違法だとも言えないかもしれない、創価は公明党と一体なのである。分離できない一体化したものであるだから創価の活動は公明党の活動とも一致している。
そもそも創価の活動とは選挙活動が主であり創価の会員とすることは一票を獲得すると同じである。
だから日々の活動は選挙活動と一致する。
そして政党であれば別に政権をとること権力を掌握するとかを目的にしても民主主義社会では許されるのである。
池田大作会長が選挙の時は拠点の支部に号令をかける。選挙が信仰であり一票とることは信仰の戦いなのである。だから拠点に集まり選挙に勝つことを会員は祈る

まず題目をあげてそれぞれがフレンド票をとりにゆく、一票を獲得することが信心でありしきりに言うのは福運をつけることだとかなる。
すべてがご利益に結びつけるのが創価である。
だから幹部の会合では創価の活動の目的は権力奪取だと公然と言っている。
それに反対するものなどいない、幹部もそれを望んでいるからである。
一時は武力闘争も辞さないとまでなっていたが平和革命で選挙で政権をとることに変えた
オウムの危険なのには驚いたがあれもカルトが極端になるとそうなる。
つまりオウム王国を目指して選挙に幹部が出たからである。
カルト宗教の特徴は政治と一体化してこの世の権力を得て社会を支配することが目的である。
創価では底辺層が多かったがその人たちも大臣になれるとか社長になるとか金持ちになれるからとか言って底辺層の人たちを動かす、世俗より世俗化している
だからこそあれだけの数になったのである。
むずかしいことを説いていたら集まらないのである。
大衆を洗脳するのには簡単なのがいいし単純なことでいい、それがドイツのナチスで起きたことは共通している、ハイルヒットラーでありハイル池田になる。

そもそも前にも書いたけどカルトの会長は大きな劣等感をもっている。
池田大作も金貸しが出発点でありそれで嫌な思いをしたというときなんとか今度は宗教で成り上がろうとした。
その証拠に世界の大学から金で学位とか勲章を買っているのもそうである。
あくことなく自分を権力で金で世界の大学から学位を買っているのである。
それは結局なぜなのか?そこには劣等感がありそれがぬぐいきれないから権力でもって自分がいかに世界で認められているかと会員に誇示する。
オウムの麻原も盲人だったとか相当な劣等感をもっていてそれが宗教と結びついてゆがんだものとなり恐るべき害悪をもたらした。

なぜ人間はゆがんでしまうのかというとき劣等感がそうさせるということは背景にある。劣等感というのは誰でももっている、天皇すらもっている。人間の能力は極限られたものであり知識の世界でも極限られた世界のことしかわからない。
膨大な知らないことが多すぎから人間個人では無力感におちいるのである。
医者も今は一番尊敬されるている。でもやはり劣等感をもっている。
つまり医者がなんでも知っているとか病気を直せるとかないからである。
医者であれなんであれ万能でないから無力感をもつのである。
劣等感に悩まされない人間がいるのかとなる
体力がない人ら体力ある人がうらやましいとか頭がいい人がみればうらやましいとか
文系だと理系の人がうらやましいとかなぜむずかしい科学がわかるのだとか常になる。

自分もまず劣等生であり体力もないし様々なことで劣っているから劣等感をもっていた。多少能力が文学的にあったとしても俳句とか短歌でも30すぎても言葉を並べていただけなのである。
ただ人間の能力はあまりにも多様なのである。
その能力が発見されていないというのも人間なのである。
たまたま自分には時間が与えられたから能力を開発できたというだけである。
まず結婚して子供をもち会社つとめていたら芸術的能力を開発できるだろうか?
つくつぐ一つの楽器すら習得するのに相当な時間がそれだけでかかってしまうのである。今やその時間が全くなくなったことでもわかる。
だから一万時間一つのことに楽器でも費やすことが天才になる条件だというのもわかる。時間は無限でないし実際は極限られた時間しか個々人に与えられていないからである。

底辺層になるとそうした才能を開花させるとかはほとんど関係ない、日々生活することに事欠くことでありそれが満たされればいいとなる。
現代の生活に見合った生活できればいいということであり才能の開発とかは関係ない
この辺でも馬券売り場で掃除の仕事を与えたからいいとかそういうレベルなのである。
高等なこととは関係ない、そういうレベルの求めることに応じるとなると宗教だけではだめである。
具体的なご利益が必要になるのである。それが公明党であれ共産党であれかなえてやれば一票になる。
仏教の悟りとか教えとかは何の関係もない、要するにご利益と福運を得るとかになると
それを実現させるのは内面的なものではない、求めているのはこの世の権力であり地位である
なぜこんなふうにして底辺で生活せねばならぬのかということが一番の不満になっているそれを政治運動して具体的に社会的にご利益が得する立場になるためにはどうするのか?
それが選挙で勝って実際に大臣になるとかしたら実現するのである。
その他でも社長になるとか権力奪取したら中国のように幹部になり濡れてで粟の賄賂が入り巨万の富を築けるとなる。

一方でオウムの場合は理系の知識人とか医者とかも入っていたから創価とは違い庶民的ではなかった。創価では庶民的なところがありあんな恐るべきカルトにはならなかった。
底辺層は科学者でも学者でもない、要するに馬券売り場の掃除でもそこに仕事があり生活できればいいというレベルなのである。
オウムの場合は理系の知識人が学生が入り庶民的でないからかえってあんな事件を起こした。
創価の大半庶民的だからかえってそんな損することはしない
そういう点ではかえって社会常識をもっている団体だとなる
なぜなら損することはしない、ご利益と結びつけば日々の生活のたしになればいいという毎日の生活の糧に役たてばいいというだけである。
だからなんで人を殺すのとかそれは庶民的常識をもっているからそんなことはしない
何の得があるのかということが常に第一だからである。

ともかく池田大作の「人間革命」を教典のようにしているがこれも本当に池田大作が書いたのかどうかわからないという、ゴーストライターが書いたともいわれる
ただなんか武器商人を批判していた、それが戦争を作り出しているとか言っていた
何か一応外面的には平和を言うのである。
武器商人を批判すればアメリカが武器を売るために戦争しているとなりアメリカ批判になる。
そうするとアメリカにカルト指定されるという恐怖におびえることになる。
現実に集団的自衛権はアメリカと軍事的に一体化することだから創価は反対してもアメリカに脅されている
アメリカでは宗教が政治活動を法律的に禁じているからである。
また創価は中国よりであり中国と親交を保ってきた。その意図は中国に信者をふやしたいとかと言われた。世界広宣流布とかのために中国に進出するためだとも言われた。
政治が関係してくれば今度はアメリカから責められることになる
つくづく日本はアメリカに政治でも経済でも左右される
アメリカが風邪をひけば日本も風邪をひくとなる、それは世界的にアメリカのドルが世界の金なのだからそうなるのである。

いつづれにしろ創価は分裂して解体してゆく運命にある。池田大作が生きているのか死んでいるのかわからないけどすでに幽霊であり幽霊に頼っているいるようではもう終わりである。
選挙でも衰退しているし会員も高齢化して前のような勢いがない。
創価は数で驚異であるが実際活動しているのは数十万単位である。
宗教が恐るべき害悪になるのはやはり俗化してゆがめられるからである。
宗教が最も世俗的な政治と結びつけば最悪になる。
選挙でも敵対する立候補者に罰があたるとか宗教的なもので運動すれば異常になる
実際は拠点に集まり題目を唱えて選挙活動している、選挙活動が一番の信心の活動なのが創価なのである。
だから公明党に創価の会員が反対したということはありえないことである。
選挙で勝つことはこれまでも宗教的な最大のイベントであり戦いである。
選挙に勝つことが仏法の最大の勝利として鼓舞してきたのである。
公明党と創価は一体であり創価が公明党議員を批判したり反対したりすることはありえないことなのだ。
そのことは信心がないとなり宗教的に罰せられることにもなる
そもそも選挙が最大の目的として信心として活動していることがこうした矛盾を生んできたのである。


ともかくこの世はあらゆるものがブラックなのである。自分が批判しても最近なぜ自分がアメリカの株のようなものでもうけているのかというのも矛盾である。
資本主義を批判しても現実は自分もブラックだということに気づいたのである。
それは日本だけではない、例えばかつてのソビエト連邦でも共産党のブレジネフとかが幹部が神のように祭り上げられていたことである。
それは中国の毛沢東とかでもそうである。それも一種の偶像崇拝という面があった。
カルトも麻原でも池田大作でも偶像化されるのである。
キリスト教でも「悲しむものは幸いである」というとき上にたつものが巨万の金持ちが
奴隷のようにこきつかいその人たちが悲しんでいるとき、悲しむものは幸いであると説いていたらこれほどのブラックユーモア、偽りはない、でもそういうことがこの世では普通にある。
現実に黒人を奴隷としてアメリカにつれてきたのはキリスト教徒であったというのも事実である。
だから宗教というのを嫌悪する人が多いのもわかる。
宗教も結局この世の欲のために利用されてきたからそうなったのである。
宗教が悪いわけではない、欲深い人間が悪いのでありキリストが仏陀が悪いわけではないマルクスの理論だってそうである。公平な世界を目指すものがありこの社会の矛盾を解決しようとした理論だけど欲深い人間は結局自分の都合のいいように利用して上に立ち中国のように暴利をむさぼるだけだってとなる。

 
タグ:創価
posted by 老鶯 at 18:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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