2008年06月11日

秋葉原無差別殺人の根底にあるもの (文化の破壊のなかで人間は生きられない)


秋葉原無差別殺人の根底にあるもの
(文化の破壊のなかで人間は生きられない)

 

クエスの日記(トヨタの派遣労働者について)
http://www11.ocn.ne.jp/~ques/diary/diary.html


●トヨタ、創価はタブ
 
今回の秋葉原七人殺傷事件のことで派遣のことをクエスの日記で書いていた。これでなるほどと思った。親戚にもトヨタの派遣労働者として働いている人がいるからトヨタの派遣として働く人は身近にいる。報道でもトヨタという言葉すらでてこない、トヨタで働いていた派遣労働者だったということが報道されないのである。トヨタは明らかにタブ−化したものとなっている。創価がタブ−化していると同じである。それはなぜなのか、莫大な金がマスコミに創価やトヨタから支払われているのだ。マスコミに費やされる宣伝費は莫大であり創価、トヨタに雇われているくらいにもなっている。福島民報やその他地方の新聞社は創価の聖教新聞を刷っている。そこから金が入ってきて社員の月給となっているのだ。トヨタの宣伝費も莫大であり口封じのためにマスコミに金がそそがれている。だからトヨタという言葉はマスコミから出てこないのだ。インタ−ネットではしつこいほどでてくるのにマスコミからでてこないのである。何かしら内部で悪事があり不都合なことがあってもマスコミでは一切報道されない、それだけトヨタ、創価などは絶大な権力化した団体になっているのだ。政府権力でも自民党でも批判は許されないのである。それだけ利害が大きくかかわっているからだ。選挙の票田であり金づるでもあるからだ。
 
●現代の労働は文化の破壊
 
今回の事件を擁護するつもりはない、ただ現代の労働は例え豊かになったとしても人間本来の基盤を奪ってしまう、人間を人間たらしめるものを奪う労働になりやすいのだ。文化のことを追求したが労働も文化のなかにある。その文化はculture-cultivate(耕す)からきている。土地と結びついていたのである。事件を起こした派遣労働者の若者は青森出身であり土地からも家族からも切り離されてトヨタという自動車の部品だけを作るロボットのようなものにされていた。現代ではこういう労働者が多いからそれが悪いのかとなるがそもそも労働は文化である時文化は多様な人間の活動がある。労働も家族のための労働から始まっている。ハタラクが端を楽にするということであるように大家族のなかで労働が苦しいから楽にしてやりていというがハタラクの意味だった。極めて人間的な動機がそこにあったのだ。こういう労働の動機なら今回のような事件が起こりようがないのだ。労働も文化の一環としてあるものであり人間も多様なものとして文化を生きる。それは原始時代に回帰すればわかる、そこでは人間は自然のなかで多様な文化を生きていたのである。自動車の部品だけを生産するロボットのような存在になりえないことは明らかである。グロ−バル化は文化の破壊だという時、コ−ヒ−だけを単一商品だけを生産させられるのも自動車の生産だけにロボット人間にされるのとにているのだ。事件を起こした若者は土地からも家族からも切り離され自動車を生産するロボットにさせられていた。文化としての労働は全くなくなってしまっていた。昔の労働は家族労働であり土地に結びついていたしこういう労働にはなりえなかったのである。核家族などもただ会社だけがすべてとなって家族が生活するという文化の破壊のなかで家族までが本来の文化を奪われ生きねばならぬことがこの言葉に示されていた。
 
●文化として生きる人間の否定の行き着く先は・・・
 
人間はその土地からも家族からも多様な文化からも切り離されロボットととして生きることを強いられる。それは本来人間には耐えられないことである。人間は土地と結びつき家族と結びつき仲間とむすびつき・・・結びつきのなかで生きる。自動車の部品を作るものだけの人間にはなりえないのである。だから宮城県の大衡にトヨタの会社の人が半分移住するがここもトヨタ村になってしまうのか?ただここで家族が移住した場合、やはり村の一員となるのでありトヨタの一員になるのではないという問題がでてくるのだ。トヨタが全世界になることは異常なことである。いづれにしろ親戚の派遣の人は家族が支援のために何カ月か一緒に暮らしたりしたから精神の安定が計られた。事件を起こした若者も家族の支援が必要だったのかもしれない、家族に対する不満があったからだ。大人が甘えるなというのもあるがやはり青森という土地から切り離され、家族から切り離されトヨタの部品製造としての専一のロボット化することは人間には耐えられないのである。その事件を肯定するのではなく派遣労働の一般的問題としてここでは論じている。その点介護士などは月給が安すぎてやっていけないと若者がやめる人が多いが極めてヒュ−マンな労働であり人間的結びつきも自然とできてしまう面がある。トヨタの部品だけを製造するロボットになる労働とはかなり違っているのだ。相手は機械ではない、生身の人間だからである。常に人間的対応が望まれる世界なのである。

 
現代の問題は私は書いたきたようにグロ−バル化でもそうだし文化に生きてきた人間が否定され破壊されることがその根底にあるのだ。全人間、ト−タルな人間として生きる、多様な文化に生きるのが人間だとする時、それが奪われ破壊されることはどうなるのか?この恐るべき事件は例外であるから関係ないとなるのか?それが集団化したときナチスのような恐怖の世界がまた生れるかもしれない、ナチスにしても根底に文化として生きる全人間として生きることを奪われたことが不満として暴発したという分析も否定できないのである。カルト宗教団体の興隆の根底には創価などでも東京に一極集中して土地から土地とともに生きた共同体から切り離された人間の不安感からカルト宗教に頼るということがあった。文化を生きる人間の否定、破壊は個々にも集団的にも実際はかなり恐怖するべきものをもっているのだ。最近の若者の狂気の犯罪の増加は文化を生きる人間の破壊が根底にある。もしそういう土壌があるとしたら変えることができないとしたら同じような事件が起きる。実際文明を変えることなどできない、・・とすれば絶望的だともなるのだ。・・・・


 

茨城(土浦)・8人通り魔殺傷事件はなぜ?
(若さのエネルギ−をもてあまし殺人へ)
http://musubu.jp/jijimondai38.html#kill


今回の若者は実に筋が通っていることに驚く。茨城の若者は「おれがやることがすべてだ」「おれが神だ」と言っている。社会から逸脱する何かが思想的にあった。今回のない、彼女さえいればこうはならなかったとかそこに思想的異常性がないのだ。いちいち社会的普通の人間としてもっともなことを言っている。つまり若者はこういう暴発する事件を起こしやすいのだが今回はあまりにもまともなのでこれは普通の若者をこういう事件を起こしやすくなっているということが反面言えるのだ。ナチスでも平気で人を殺した人は極めて日常的生活で特異な人ではなかった。獄当たり前の人が平然と人を殺したのである。ガス室送りにした。それは機械的作業を、日常の仕事をこなすようにしていたのである。こうした普通の若者がこうした事件を起こすことがかえって深刻な事態なのかもしれない、例外的事件ではないものを感じてしまうからだ。

 

高度成長時代から変わった労働環境の変化
(ニ−ト、フリ−タ−、派遣、パ−ト、は外国人が代わり日本から追放?)


移民1000万人受け入れ 自民党国家戦略本部が提言

「外国人が暮らしやすい社会は日本人にも暮らしやすい」の衝撃
http://musubu.sblo.jp/article/16226704.html

 
この問題の根底にはやはりグロ−バル化の過酷な国際競争があった。これは労働環境を大きく変えた。

高度成長時代は必ず賃上げがあったしほとんど正社員しかいなかったからだ。
 


 

posted by 老鶯 at 01:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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