野馬追いー神旗争奪戦の雲雀が原へ(写真)
北郷から雲雀が原へ鹿島の一石坂を上る
旗印同じや越える一石坂旗をとらむと雲雀が原へ
小高郷の陣営が出番を待つ
黄色の畠は小高神社の旗
これは江戸時代から伝わったものか古い感じ
馬もばてたのか?鼻血を出して倒れる、あとで起き上がった
葵の紋
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雲雀が原へ行列
鉄砲隊
かもめの旗が面白い
総大将
北郷ー副大将
中村神社
武田の紋
雲雀が原で神旗争奪戦
北郷から出た葵の紋に注目ー神旗をとる
野馬追いの行列は順序まで決められている
名前と役柄を記されたものがあり出場した人の名前が全部出ていた。
旗にも役割があり伝統的に決められたものである。
今日は暑く雲雀が原には入場しないで他から写真をとった
写真はとる場所によって相当に影響する
遠くをとれるカメラだったので本陣山に旗をとって上る馬をとれた
菊の紋は北郷(鹿島区)の人でその人は鹿島から馬で来た
今はみんな車ののせてくる。
野馬追いもなんでも機械に頼ると昔が再現されないのである。
馬でもせめて原町とか鹿島とか小高くらいは馬で来たら
当時の状態をしのべる
ともかく500頭集まれば壮観なものになる
江戸時代はまさに戦闘訓練だからこんなものではない
雲雀が原の十倍の原で戦闘訓練をしていた
馬が500頭であれ千頭であれ集まると迫力あるなとなる
戦国絵巻を映画などで見るが何か狭い画面で見るから迫力が伝わらないのである。
もし一万とかの馬を見たら凄い迫力になる
そういう戦争となると今では想像できない
戦争は馬が主役でもあり馬がどれだけいるかが戦争で有利かが決まる
だから武田の騎馬軍団が力をもったのである。
その馬に頼らず信長が鉄砲で時代を変えたのである。
馬というのが競馬とかでしか見ないから馬がどういうものかわからなくなったのである。
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