2008年06月02日

「一つ屋に 遊女も寝たり 萩と月 芭蕉」−病院に宿泊した体験からの解釈

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「一つ屋に 遊女も寝たり 萩と月 芭蕉」−病院に宿泊した体験からの解釈


一つ屋に 遊女も寝たり 萩と月 芭蕉
 
芭蕉のこの句はあまりにも有名である。俳句とか文学作品の解釈は鑑賞は時代によっても違ってくる。人によっても違ってくる。病院に泊まってこの句の解釈をこんなふうに変えてみた。
 
一つ屋に患者といねし五月闇
 
病院は宿ではない、その病院も隣の街だし7キロくらいしかない、極めて近いのにそこが旅の宿と同じように感じた不思議がある。二日も病院に泊まった経験はなかった。その病院も隣の街だった。その街が隣でもつくづく異境であり故郷ではなかった。合併で同じ市になってもそこは隣でも故郷ではない、異境の街だった。今どき外国ならわかるがなぜそこが異境の街と感じたのか不思議である。これは「南相馬市原町の病院に泊まり短歌二十首(無常は人間の定め)」で書いた。病院は死と隣り合わせの場所であり己が生と別れを告げる、また生きている人とも別れる場所でもある。同じ病院にいる、病室にいてもここでは同病あわれむとかなり連帯感が生まれるのだ。それは介護している家族同志でもそうである。たがいにいたわることが自然なのである。そこには偽善的なものはない、かえって貧乏人は貧乏をしっているから貧乏人をあわれむ。インドでも乞食に恵むのは貧乏人だということがあり金持ちは冷たいとなる。実際に特殊な病気、ハンセンシ病とか精神の病とか認知症でも協力しあうのはその家族同志であり他のものはかえって差別、偏見であり冷たいのである。
 
この句が病人とか差別された人と関係あるわけではないが遊女もまた特殊な人であり差別されやすい女である。偏見をもたれ人並みにはあつかわれない、それで病人、患者とにたところがあったのだ。一つ屋→病院であり遊女→患者、病人としても違和感がない、そんな解釈もできるのだ。奇妙な組み合わせかもしれないがそれが違和感がないことはやはり人間として共通のものを感じるからである。江戸時代には病院はない、明治以降病院はみじかなものである。誰も病院に入院を経験しない人はいないくらいである。また看護とか介護とかで病院にかかわり高齢化社会で病院はすべての人にとって身近なものとなっている。病院が老人の社交場になって困ったというのも高齢化の問題だった。病院というのが旅の宿にもなりうるという不思議を書いた。それも家から7キロくらいしか離れていなくてもそうなりうる不思議を短歌で書いた。
 

馬の口とらえて老をむかふる物は日〃旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり

日々が旅であり旅をすみかとする、人に常住の世界はない、無常の変転があるのみである。だからこそ病院も旅のすみかとなりうる。実際に病院で死ねばまさにこの世からあの世へ黄泉へ旅立ち帰らぬ人となるのだ。病院も無常極まりないこの世の旅路の宿だった。一夜の宿だった。ただ病院は地元であれば様々な因縁深い場所だから違っていた。でもそれでもそこは異境であり異境に死すという感覚になる不思議があった。街の灯を二日病院より見てつくづく思ったのである。五月闇というと病人も患者もそれぞれ深い闇もかかえている。その闇を共有しているのが病院である。外に街の灯が雨にしみて写り病人は闇のなかに沈んでいる。今は老人が多いから昔のことを延々と回想している。この世は終わりあの世へ旅立つのが病院になりやすい、旅に死すというとき病院が旅路の最後のすみか、場所になりやすいのである。人間はその長年住んだ場所すら異境となりうる。旅の宿なりうる。なぜなら時間とともに回りの環境も変わり人も変わるからだ。この辺は住宅地の改造で全く昔の面影もなくなった。誰か昔を知る人がたずねてきてももはやわからないのだ。この世が無常というとき同じ場所にいようが無常を感じる。そしてそこは旅の宿ともなる。人はこの世に永遠にいることがないこと自体、無常の世界なのだ。人間は日々旅をすみかとするというとき別に芭蕉のように旅している人だけではない、人生そのものが旅なのである。いづれは死ぬとすると別れるとすると家すら一夜の宿にもなる。別れてしまいばあの世に旅たてばもうあうこともないから旅の宿だったとなる。そして永遠につづく家というのもない、家自体がなくなっていたり人も変わり帰る場所でなくなっている。老人が施設であれ病院であれ帰宅願望が強いが実際は過去の若いときの元気なときの自分に帰りたいということでありその元気な時の自分や家はもうないから帰るところなどなくなっているのだ。
 
草の戸も住み変わるよぞ雛の家
 
まさに人は絶えず住み変わる世でありそこに老人は帰る場所でなくなっている。雛の家とは代が変わった若い人の家になったということである。老人はそこに居場所がなくなっている。そういう人生の変転、無常がこの世でありこれは老人になるとみんな痛切に感じることなのだ。芭蕉の句にはそうした時間の経過の中で無常を句にしてしいるのが多いのだ。「夏草や兵ども夢のあと」でもそうであり「五月雨のふりのこしてや光堂」」でも時間の経過の中で時間の無常の中で残っている光堂を句にしている。つまりこの世にいかなる栄華も栄いも常住なものはない、一時栄えていてもそれは一時の栄華であり消えてしまう。これは庶民でも同じである。近くに材木屋で社長をしていた人も鉄工所を経営して議員になった人も零落したりとこういうことは普通のことである。無常こそ普通であり変わらないものはこの世にはないのである。無常を感じることは当たり前のことであり無常こそ人間の常になる現実なのである。永遠に若い日はつづかないし老いること自体が無常なのである。
 
病雁の夜寒に落ちて旅寝かな

病雁は病人であり芭蕉は本当に病気になり寝込んだ。ここでは旅寝が長くなれば外の景色が詠まれることになった。病気でもまだ軽いからこうした句になったが長く寝込んで病院にでも入院したら外の景色が詠まれ心に刻まれるたのである。現代の旅は早すぎるからその土地の風物がここに刻まれることが少ないのである。芭蕉のころは風景が心に残る、刻まれる時間があった。今回私が隣の街が印象深く思えたのは半年近く病院に通ったせいなのである。印象に残る時間がそこに生まれたのである。ただこれまでも買い物などにも行ってたのだか病院から街が別なものとしてより身近なものとして見えたのである。私自身は病気でないにしろ末期の眼から見る景色は見慣れたものでも今までとは違ったものとして写ってくる。もし誰だって最後に見る光景はどんな平凡なものでも印象深くならざるをえない、なぜならそれが最後の見納めだからである。
 
時鳥夜にも鳴きぬ明日も旅
 
明日もやっぱり旅なのである。一日一日が人間は旅なのである。出合い別れ発見の旅である。病院も旅の宿でありいづこも異境であり旅には死ぬまで終わりがないのである。
 

●補足
 
「故郷を甘美に思うものはまだ嘴の黄色い未熟者である。あらゆる場所を故郷と感じられるものはかなりの力を貯えたものである。だが全世界を異境と思う者こそ、完璧な人間である。」(サイ−ド−オリエタリズムの一節」
 

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