2015年07月23日

白百合の花と介護している家(詩) (人間は長く人生をともにした家で死ぬのが理想だが・・・・)

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白百合の花と介護している家(詩)

(人間は長く人生をともにした家で死ぬのが理想だが・・・・)



蝶とまり夕風ゆれる合歓の花

限られし時に鳴きけり蝉の声今しひびきて夕暮れむとす



白百合の花と介護の家

庭の白百合の花、臥す母に向きて咲きにき
その大輪の真白き花や母に向きて咲き今日も暮る
我が家に嫁ぎありし長きその日よ
そが憩うべしはいづこや今は家に安らぐ
それぞれの家に歴史、物語のあれ
悲しみ、喜び、いがみあい、苦しみ、笑い・・・
それぞれの家族に物語のあれ
その長き日よ、その時は帰らじ
ただ思い出として物語として残されぬ
死ぬときよ、真白き百合の花を見む
その花の偽りなき誠の花よ
汝はその花を見て安らかに死ぬべしかな



今日の推理小説のドラマはそれなりに深いものがあった。人間は何か事件があるときそこに人間の問題が具体的に現れるから事件から人間を考える
なぜ夫を妻が殺したのかとなるそれが複雑である。
動機は義理の母を介護していたのに夫は不倫して妻の願いをことごとく無視した。
誰が見てもひどいと思う。
それが介護ということで自分も興味をもった。
介護は介護している人でないとその気持もわからない。
妻は七年も介護していたとか介護は長いからまた負担が大きいのである。
その妻は20数年の平和な家庭生活を壊したくなかったというのが動機だった。
夫から別れるという言葉を聞きたくないがために殺人になった。
その家族の思い出を壊したくないとして殺人になってしまった。
そのことは結婚でも長く一緒にいればそうなるのが普通である。
だから熟年離婚というのが理解できない

ともかく長い期間いて培われたものが何かしらある。
その間に憎んだとしてもそれも愛の反面になる。
長くいるということは何かしら意味があると思うからだ。
なぜそう思うかというとそういう時間がもうなくなるからだ
ではまた新しくはじめればいいというが20数年を御破算にしてまた一から始めるとなると人生にはそんな時間がないのである。
自分が前々から何度も言っているけど人生とは結局何に時間を費やしたかで決まる
そういうとき人間には時間が限られているのだから数十年一緒に過ごしてまた別な人と一緒に過ごすという時間が与えられていないのである。
だからその妻はそうして費やした家庭生活の思い出とかを壊したくないというのがわかるのである。

つまり人間にとって一番貴重なのは時間なのである。
誰と一緒に過ごすか、それも時間を共有するということである。
その共有する時間は一人くらいしか与えられていないのである。
離婚してまた別な人とやればいいとか次も離婚して最初からはじめればいいというわけにはいかない、なぜなら時間が鳴くなてしまうからである。
だから老人になってからなにか深い付き合いと結婚してもうまくいかないように思う。
老人はすでに費やした時間をふりかえるだけだからである。
新しい思い出を作る時間がすでにないからである。

人間の一生は本当にそれぞれの物語である。
だからこの家を苦労して建てたんだというときそこに物語がありその家に重みがでてくる家とは単なる箱もの、物とも違っているのだ。
たいがいこの家は働いて苦労して建てたんだよというときその物語を聞けば家に重みがでてくる。
それは商品にも通じている。この野菜は苦労して作ったんだよと直接聞けばその野菜が貴重に思えるのである。物々交換の時代はそういうことがあった。
今はそうした物語が省かれるから商品でも値段だけがとりあげられる。

介護を考えると自宅で死ぬのが看取られて死ぬのが理想である。
病院とかは施設とかは家ではない、それぞれの家の物語はない
一種のやっかいなものの収容所となってしまう。
介護というときその人がどういうふうに生きてきたのかということが問題になる。
それを一番知っているのは家族だからである。
でも家では延命治療るような余りに負担なことはできない
そんな負担を背負ってまで家でやるというのは余程の人でないとできない
そうされていた介護度5くらいの人を病院で見た。
その人はそれだけのことを家族にしていたからそれだけの介護をされていたのである。
最後はあまりにも悲惨な状態になっていた。
浪江の人だったが今はとどうしているかわからない。

病院で死ぬことも看護師や介護士に世話になることもこれも一時的ならいいが最後の看取りとか世話になることはいいことではない
医者でも看護師でも介護士でも体はめんどうみても心はみない
死んでもそんなこと毎日死んでるから物ののように扱うだけである。
看護師は白衣の天使でもなんでもない、介護士でもそうである。
またこそれを要求するのも無理がある。
見ず知らずの人にそんな愛を要求するのは無理だとなる。
病院はもともとそこで死ぬというより一時的にいる場所だったのである。
延命治療などは人間というより機械に囲まれて最悪だと思う。
人間は直る見込みがないなら延命治療はすべきではない
病院は無機質な冷たい場所なのである。
医者でも看護師でも介護士でも天使でもなんでもない、むしろ冷酷に見ているともなる
それをみんな批判できないだろう。
そういう仕事として割り切ってやっていて家族のようなことはできない
自分にとってだから病院とか恐怖になったし看護師にも怖い目にあったら今では恐怖している。
一時的にいるのはやむをえないがそこで介護のような延命治療のような状態にしておかれることが恐怖なのである。

 
タグ:家で死ぬ
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