2008年05月29日

パソコンにはピカソが棲んでいる−抽象画のでたき過程

hakabefore.jpghakatadasaiab1.jpg 

パソコンにはピカソが棲んでいる−抽象画のでたき過程
 
前に何度も書いてきたけど絵の才能はゼロである。ただ今パソコンをただ遊びいじっているだけで抽象画が書ける。万華鏡にするとどんなものも抽象画になりそれが別なものに変容して別なア−トととなっている不思議である。パソコンは抽象画にするのに最も適した道具である。これを筆を絵にしようとしたらとてもじゃいがめんどうくさくてできない、パソコンは絵の才能なくても絵を楽しめる道具なのだ。私がこれまで一句一首の部で作ってきたのはほとんど偶然の産物だった。加工していたら偶然できたのである。加工するとき、百回の加工のバリエ−ションがありその中から選ぶのがパソコンの作品作りになる。それなりに根気がいることは確かである。でも才能は必要ないのだ。これが何かいいなというのを選んで出しているだけである。パソコンの中には明らかにピカソが住んでいるような感覚になる。
 
この絵の抽象画ができた過程は博多とか太宰府は中国からの風、韓半島からの風、ヨ−ロッパからの風が吹いてきた文化の窓口として一文を書いた。そしてそれを絵にしようとしたのが最初の下絵だった。
次にこれを加工していたら偶然に抽象画になった。つまり最初は具体的イメ−ジとして三つの色の風が吹くということから三色の光をイメ−ジして博多や太宰府をライトアップした。今度は渦巻きの加工をしたらたまたまこれはいいなとこの絵になったのである。
 

伽耶や百済の風、唐の風、ヨ−ロッパ、オランダの風
博多にまじる、エキゾシズムの風、色合い、文化の混合
・・・・・・・・・・・・・

 
こんなふうに詩としてイメ−ジした・・・その歴史としてのイメ−ジが絵として具体化したのがパソコンの加工技術だった。だからパソコンにはピカソが住んでいる。ピカソは本当に天才だけどパソコンを通じて天才でないにしても抽象画家になれる不思議である。ともかく絵の才能がなくても絵を楽しめるということはパソコンやデジカメは人間の才能を発揮させる意味は大きい。デジカメで写真俳句−写俳−という新しい芸術の分野が生まれた。それも安価なものでできるのだ。ソフトはソ−スネクストの2000円のペイントグラフィックでありあとはつけたしで使うのが一万のソフトだから馬鹿らしい。2000円のソフトが役立ち一万とか二万でも役立たないソフトはいくらでもある。ソフトはその人の創造性により使いこなされなければ価値が出てこないのだ。ソフトにはもともとハ−ドと違いその人の工夫なり創造性が必要なのである。これは芸術の分野だけではない、介護の分野などでもハ−ドとソフトが必ずある。ハ−ドは箱ものの建物でありその中で働く人はソフトである。人との個性的な対応はソフトととしての働きなのである。そこにはその人なりの工夫や創意が必要となってくるのだ。パソコンはハ−ドでありソフトこそ創意工夫の世界でありそれは無限にある。やはりパソコンは今世紀最大の発明だったのだ。
 

九州の旅から−@遠の朝廷−春の都府楼(太宰府)跡(評論と鑑賞)
http://musubu.jp/hyorondasaifu.html#tofu

この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/15508631
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック