九州の旅から−@遠の朝廷−春の都府楼(太宰府)跡(評論と鑑賞)
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九州は二回くらいしか行っていない、やっぱり東北からは遠い、北海道は近いのだ。博多は中国であれ韓国であれヨ−ロッパであれ文化の窓口だった。あとから回想して創作したのがかえっていいのができている。一連のものとして作ることができる。プログはホ−ムペ−ジのように一つのまとまりあるものとして作りにくい、その時その時の即興的なものに向いているのだ。作品の断片として作りやすいがそれをまとめたものとなるとホ−ムペ−ジでないとできない、都府楼跡(太宰府跡)で印象に残ったのは礎石である。大きな礎石だけが点々と残っていた。その礎石を踏みつつ春の日に遠の朝廷を思い詩作した。遠い記憶なのだがそこにいた時間を思い出しつつ想像−創造している、創作は想像であり創造である。インタ−ネットでは自分の記憶だけではない、他の人の作品と自然と融合してしまう不思議がある。キ-ワ-ドで調べる内に自然とそうなってしまうのである。
遠江 白羽の磯と 贄の浦とあいてしあれば 言も通わね 万葉集巻20-432
この歌は別に太宰府とは関係ないものだったのだが面白い歌だなと他のサイトで引用していたので興味をもった。これは何か子供的発想なのだけどつくづく交通が発達していなければこう思うのが人間である。交通が発達した今のような時代ならそれほど地理的に離れていてもこうはならない、博多には韓国から船で帰りさらに船で東京まできたことがあった。これも遠大な旅だった。船はほとんど乗った。ただ那覇から博多までの航路がありこれには乗っていなかった。何でも全部乗ることはむずかしい。電車にしてもそうである。これもほとんど乗ったのだが乗りえないものは残っているのだ。それと記憶から消えてしまったのも多い、汽車の旅も忘れやすいのである。