2006年10月24日

南国の時(沖縄−山原)

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南国の時

南国の花が馥郁と日がな芳香を放つ
明るく強烈な陽ざしが芳醇な果実をもたらす
海は果てなく広がり自由に風がそよぐ
冒険の船は大海原に出て行った
勇敢な若者は海に沈んだ
それを弔う墓はやはり海に向いて立つ
死んでも海に面して海に憧れる
砂浜の木陰に老人の漁師が休み
大魚との格闘の遠い日の思い出に耽る
人生は一編の詩として美しい自然に織り込まれる
南のきらめく海、珊瑚礁の海、熱帯魚の海
鮮やかな色にたわむれ、極彩色の夢に酔う
朝の光線が透き通った水辺に反射している
大きなでんでん虫が葉陰に隠れ
箱亀が歩みスロ−な時間が流れる
南の国の密林は影深く閉ざされ
キノボリトカゲがのっそりと現れ眠る
その奥深くユウナの花と月が語り
砂浜を満月が照らし夜風に涼み
素手と素足の裸の神がそこを歩む
イリオモテヤマネコの野生の眼が光り
ヤンバルクイナの変種が生き残り
語り継ぐ海の伝説が島にはまだ生きて残りぬ



沖縄の旅は一カ月だった。山原の方まで自転車で回ったからほとんど回った。今思い出すとかなり思い出になる旅だった。その一部は時事問題の深層に書いた。沖縄の部に詩も書いた。与那国島では監視されていたのには驚いたが今ではそれも一つの旅のエピソ−ドになった。旅は長くないとだめだ。それも一カ月は必要でありその中で滞在したり人に出会ったりいろいろあるとあとで記憶に残る。沖縄の旅は一冊の本にできるくらいホ−ムペ−ジで書いた。旅で大事なのは実は旅の終わったあとなのだ。旅は印象的に記憶され回想された旅は豊かな旅だったのだ。だから旅が終わってすぐに印象を書いておくことだし旅しているときも記憶して書いておくことが必要である。その記録から記憶を呼び出すのである。外国の旅はあとで思い出すことが少ないことがわかった。歴史的なことやいろいろわからないからあとで書くことがむずかしかったのである。日本だったらあとからいろいろ調べて書けるから様々に発展できるのだ。

ともかく沖縄の旅はそれで一冊の本にできる思い出となった。沖縄は日本にある南国であり別世界なのだ。北海道もそうなのだが北海道に確かにアイヌ文化はあるが沖縄には歴史がある。そこが大きな違いなのだ。旅は一カ月すると大きな旅をしたものとしてあとに残る。自分の幸運はこうして30年間自由であり旅できたことなのである。しかし今やその代償なのか?一日すら自由にならないという刑務所にいるらうな暮らしになった。たえず監視していなければならない、これも運命だったのか?これは考えられないことだった。・・・・
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