2006年10月23日

天高し

天高し孟宗竹に牧の馬

日本では天という感覚がともしい、モンゴルのような平野だと天が意識されるのもわかる。星座の文化が生まれたのもわかる。日本では山はあっても天を意識することがむずかしいのだ。空と地の広がりが大陸では違う、日本は海に閉ざされていると同時に空も閉ざされた空間になっている。解放感がないのだ。海外旅行すると日本には空がないとさえ感じた。日本では大きな空間を感じ得ないのだ。海には大きな空間を感じるが日本は山に閉ざされ空も閉ざされている、空間意識が茶室のようにいびつに狭いものとなってしまうのである。これが日本の美意識だといえばそうなるがなんか狭苦しいし人間もいびつになってしまわないか?茶道は日本の美意識の文化だとなるが日本はおおらかさや広さに欠ける文化になるのはやむをえない、天高しだって中国の天であり日本にはそぐわない、中国から入った文化でも日本にそぐわないのがかなりあったのだ。それは風土と文化の違いだったのである。俳句も
日本の狭い風土から茶室と同じような美意識が作られてきた。世界で一番短い詩であるからだ。

この馬だってモンゴルの平原を駆ける馬とは違う、ただ馬と真っ直ぐな竹はあっていたかもしれない、いづれにしろ馬はモンゴルのような大平原にあうものなのだ。そこなら馬はどこまでも疾走できるからだ。天もまた大平原の空であってこそ意識されるものなのだ。日本にいるとやはり閉塞感が生まれのはこうした天とか広さがないからなのだ。
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