2006年10月22日

認知症の感情の働き(物忘れから→狂気→暴力へ)

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●極端な物忘れから狂気の暴力へ

認知症は極端な物忘れがベ−スとなって様々な症状が現れる。二階にタンスがありそれを出したりして整理するのだがちょっとの間、下に下りてしまうと自分が出したタンスの衣服などが散らかっていると大騒ぎするのだ。「一体こんなに散らかしたの誰なんだ、誰なんだ!!!!」自分自身がまるっきり忘れてそういうのである。これが実は非常に怖いものであり狂気と結びついて行く、自分が衣服を出して整理していたのだがそれが自分がしたということを自覚しない、すると誰がこんなに勝手に散らかしたのだとなりそれが誰かに対する怒りとなる。その怒りの向けられる者は誰になるのか?それは日頃から最も身近にいて感情的に対立している人になりやすいのだ。姑が認知症になったらその側に常にいる嫁などに怒りが向けられる。「私の着るもの勝手に出して散らかしたのはあなたでしょう・・・・」となる。これが一種の狂気となるのだ。なぜならどうしても自分がしたという自覚がないから誰がやったのかを知りたい、それが極端になると妄想化して暴力になる、現実は「あんた勝手になんで私のもの出してちらかしたのよ・・・」と血相変えて攻撃して家にいられなくなった人もいる。つまりここが認知症の狂気なのだ。認知症は物忘れから一種の狂気になる病気である。

●政治でも悪感情から暴力へ

こうした感情の作用は現実の世界にも起こっている。例えば中国で反日の運動があった時、感情的に嫌悪感をもっている日本人にその鬱憤が向けられたのだ。日本人は隣であり身近であり一番、感情的に鬱憤を怒りを向ける対象として向いていたのである。認知症のようにそもそも自分がしたことなのだが自分はなんの落度もないと思っているから日本人が悪い、犯人だとなり感情の爆発が集団的に起こった。あの戦争は中国人にも非があった面がありその後の中国人の行動もチベットで見られるように民族の暴力的弾圧をししているのだ。こうして憎悪の対象を感情的に操作するとナチスのようにユダヤ人がすべて悪いとなった。認知症とナチスとか集団行動(ファシズム、カルト)の行動化は類似性があったのだ。フランス革命でも極端な殺戮になったのは煽情的感情的になったからである。人間を指導するのは冷静な合理的な判断ではない、感情に訴えることなのだ。これが低俗な大衆を導くには一番いいから今でも政治に有効に働くのだ。感情的なものは宗教でありカルトにもなる。これは別にカルトでもなくアメリカの反テロでも中国でも政治家はみんな感情に訴えることで大衆を導くことは変わりなかったのである。

●認知症の対処方法は感情的にいい関係をもつこと

認知症の暴力では悩んでいる人が多い。この原因は様々であり家庭環境でも違うから対処方法も違うととなる。日頃から感情的に悪い人が一緒にいるとその関係は極端に悪化して破綻してしまうのだ。感情的にいい人だと息子であれ娘であれやはり親として労りの心や愛情をもっているからいろいろ気づかうことは変わりないのである。だから一時的には責められてもいろいろ親身なって世話するともともと感情的にいい人は責めないのである。今でも忘れることは直らないし誰が散らかしたんだとは言っているが前のように狂気のようには追求しないのである。認知症の対症方法は常にその側に感情的にいい人がいて世話することだとなる。すると極端な物忘れは直らないにしてもその人を余り責めないし感情的に穏やかになってくるのだ。暴力になることはないのである。感情的にいい人が世話してくれることをありがたいとか思っていて感謝もしているから責めないのである。感情的に互いに愛情が通じ合うから極端な物忘れからくる狂気もおさえられることになる。

人間の結びつき絆は感情にあって合理的な道理とかにない、人間は家族なら協力しなければならないとか人間は助け合わなければならないとか言っても感情的にいい関係にないと成り立たないのだ。もし世界が理性的になれば戦争もないはずである。理性的になれば戦争すること自体全く馬鹿げた損失しかないからである。互いに協力した方が得なのである。それができないのは感情的なものとして憎悪などがむき出しになるから殺戮も個々にも集団にも民族同士でも起きてくるのだ。感情は怒りは普通の人でもおさえられない、爆発して殺人とかになってしまうことでもわかる。殺人したら何の得もないのだが感情がおさえられずそうなるのだ。認知症の場合もだから説得しても自覚できない、病識がもてないから感情的爆発→激怒→暴力となるのだ。これを抑えるには感情的にいい関係の人が常時接触して世話する他ない、これが家庭でも施設でも同じなのだが施設ではなかなか対処がむずかしいから暴力が治まらないのかもしれない、その人を家族のように接することがむずかしいしそれを要求することもむずかしいからとなる。虐待が起こるのも逆に感情的に耐えられなくなり爆発してしまうからである。頭に来たとなりおさえられなくなり虐待の暴力になることでもわかる。

小泉首相がなぜ大衆に支持されたか?(時事問題の深層へ)
http://musubu.jp/jijimondai33.html#koizumi
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