2015年07月08日

仙台駅の中で青森ヒバの製品を売っていた人 (復興した仙石線で石巻から女川までゆく)


仙台駅の中で青森ヒバの製品を売っていた人

(復興した仙石線で石巻から女川までゆく)

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リンゴの形をした青森ヒバ



本県を中心とするヒノキアスナロは北方型、木曽地方を中心とするアスナロは南方型の二つに区分される。青森ヒバは、特にヒノキアスナロと呼ばれている。
「青森ひば」は、ヒノキ科アスナロ属の針葉樹で和名をヒノキアスナロといい、日本固有の樹種として、その約8割が青森県内(主に下北半島・津軽半島)に集中しています。
雪の多い地方でなければ育たないと言われる「青森ひば」は、北の厳しい風雪に耐えながらゆっくり年輪を重ねます。長い年月をかけてじっくりと成長した「青森ひば」だからこそ、緻密で狂いが少なく、木目も細やかで美しい木材になるのです。


仙台の駅の中で青森ヒバのまな板とか売っていた。
青森ヒバは始めて聞く、調べてみるとヒノキとにているからヒノキアスナロとか名づけられていた。
ただ青森特産であり青森地方に8割とかあるから青森という寒い気候にあっている樹なのだろう。
シロアリとかに荒らされないのもいい、ヒノキとにていて良質の木材である。
木の種類も多い、日本では特に多い、北海道のアイヌ村では槐(エンジュ)の樹というのがありこれは固く灰皿にも使える樹だった。
それとにて青森ヒバも特別な良質の木材なのである。
青森はやはり森の国なのか、青森ヒバというのもその一つなのか?
た青森は北海道に近くやはりそういう特殊の樹を気候が育てるとなる。
寒い国の樹は成長が遅い、南国の樹は成長は早く植物でなんでも伸びる
それは何か人間的にも南国の人は植物でも成長が早いし果物も多く食料を苦労せずに得られることから人間はのんびりしてくる。

ギリシャなどはオレンジがとれたり地中海に面した南国なのである。
デオゲネスが樽で裸で暮らすことができたのはあたたかい気候だったからだろう。
とてもドイツなどは寒いからできない、ゲルマンの森は青森の森と北海道の森と通うじている。
そういう場所からゴシック建築とか哲学とベートベンの音楽が生まれたのである。
南と北の文化の相違が生まれたのである。
宗教的にはプロテスタントであり勤勉のエートスが生まれ資本主義が生まれた。
そもそも資本主義とは勤勉に働き神に奉仕して仕えるということからはじまった。
だからギリシャとは遊んでいて怠け者であるから何かドイツとは正反対の国なのである。それは風土に影響されてそうなった。

日本の特性としては風土としては小さい島国でも一つの島国で南と北の風土がありそれで文化の相違も生まれた。
沖縄までが日本とすると沖縄は南国であり北海道は北国であり日本海そいや東北も北の風土の文化を育む。
青森はどちらうかというと北海道的なものと日本海的なものと本州のみちのく的なものの混交となる特殊な地域なのである。
丸山山内の縄文遺跡が縄文都市だというとき海に囲まれて交易の場所でありまた大きな柱の跡があったということは青森特産のヒバの木材を活かしているとかなにか森の国でもあった。
縄文土器が湿った森から生まれたというのもまた日本的である。
日本は森が今でも多いから樹の文化の国である。


ただ今はヒノキであれヒバであれ高価だから家の材料には使われないから意識しなくなったのである。
やはりいかに良質なものでもあったとしてもそれが日常的に使われないと何でも廃れてゆくのである。
あらゆるものは使われてこそ活きてくる。だから廃屋は活かされていないから大問題なのである。
今回はまず仙台駅前で青森ヒバの製品売っている青森県の人と出会い、次に石巻でも津波の被害にあった人に出会い結構話した。
最後は仙台の古本屋の人と郷土史のことなどを話した。
それで資料なども買った、ネットでも販売しているというがなかなか中味は専門的になるとわかりにくい、相馬藩のことは伊達藩のことも調べないとわからないのである。
それで宮城県の郷土史研究などの冊子があり参考になった。

次は石巻で津波の被害にあった人の話を書く・・・
タグ:青森ヒバ
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