2008年05月16日

漢字は抽象画−桐

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漢字は抽象画−桐
 
そもそも文字,言葉自体が抽象画である。漢字はそのものが一個の抽象画なのだ。絵ではないが抽象画である。桐(きり)を現せば確かにこの漢字ではないが抽象化した絵にすればこれもあてはまる。木という遍があることにより木を現している。毒とあれば確かにこれは毒だよと漢字で一目見て警告できる。横文字だとアルハベットだと一目見て直観的に判断するのがむずかしい。漢字とかなを組み合わせた日本語はむずかしいが読みやすいともなる。感じだけだと読みにくい、漢字と漢字を読みやすくするにはかなが必要だった。かなは日本人が発明したのであり漢字をより読みやすくしたから日本語が優れている。ただ漢字とかかなの弱点はアルハベットのように数式のようにさらに抽象化されていないことなのだ。英語は数字に近いからコンピュ−タ−言語にすることができた。漢字と,かなはコンピュ−タ−言語にできないからコンピュ−タ−を発明することもできなかったのである。コンピュ−タ−はアルハベットなくしてできないものだった。コンピュ−タ−の発明はもともとあった文化から生まれた。漢字とかなの文化はアナログ的でありより具象的でありそこにコンピュ−タ−化できないマイナスの面を作っていた。ただ漢字にもかなにもいい点があり両方をかねそなえる文化はなかった。言語は文化の基底であり日本語もその一つなのである。
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