蕪村の句二つ(米ふむ音や藤の花、門を出れば秋のくれ)解釈
山もとに 米ふむ音や 藤の花 蕪村
蕪村の不思議は必ず生活者をそこに読んでいる不思議である。単なる風流ではない、生活を離れた詩人ではない、実際に農民として生活したような俳句を作っているからだ。蕪村という名もあられた村というから不思議である。山もとは(山元、山下、山本・・)とかなり日本人の生活の根拠になった所であるからこれもきいている。質実な農民の生活の場がここで表現されているのだ。
江戸の俳人・与謝(谷口)蕪村は、当時、カブの産地として、有名であった大阪・天王寺に住んでいたので、俳号を蕪にちなんで蕪村としたそうです。当然、カブをよく食べたことでしょう。もしかしたら、自分自身でカブを栽培していたかも知れませんね。
この号は後に『宇都宮歳旦帖』で「蕪村」と改められた。これには諸説あるが、彼が歳旦帖を編纂した寛保4年の前年、彼はほぼ1年を掛けて福島、山形、秋 田、青森、岩手、宮城と文字通り奥州を遍歴した。そこで彼が目にしたのは、冷害、飢饉などで疲弊した多くの農村であったと思われる。その印象が余りにも 強かったため、彼は初めての歳旦帖を編纂するに当たって、俳号を「蕪村」つまり荒れ果てた(荒蕪の)村と代えることに決心させたのであろうと思われ
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蕪村とカブは関係ない、荒れた村の名前をつけたことに何か蕪村という人をしる手がかりになる。蕪村は風流な名前ではない、飢饉という現実の悲惨さを基にしているとなると蕪村の俳句に常に外からだけ風流としてながめているのではない、農民の生活と一体となるような農民が作ったような俳句になっているのもそのためである。ただ一方で華やかなもの、遊女とも交わったり画家でもありまるで違った側面もあるので謎が多いのである。
天台宗妙法寺。与謝蕪村が長く滞在し、多くの名画を残したことで別名「蕪村寺」とも言う。
門を出れば我も行人秋のくれ
蕪村が妙法寺を去る時に詠んだ句だろうか
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古りにしや京の御寺の門の前我たたずみし春の夕暮
門を出れば我も行人秋のくれ
門をテ−マにすると門の前にたたずむのと門をでるという対象がここにあった。私の仁和寺だったがここは妙法寺だった。ここも歴史のある古い寺だった。ここに歌と俳句の共通性がある。俳句とか短歌は共通なもの、類想したものがあると同じことを思って作っていた人がいたと感じて共感する。、だから俳句は連句からはじまったというのがわかる。門をでた時その寺の歴史とかを心に残り描く余韻がある。門の前にたたずむときはこの寺に入る知らない世界に入ってゆく心の高鳴りがある。門をでるときは学校の門を出て卒業するとかの気分である。門を入ると出るでは相当違った感覚なになる。門前にあるということもまた違っている。私の場合は門を出て門前にあった。それは春だった。門を出るというとき秋がふさわしかったのである。門を通じてその寺とまたは門の中にあるものと一体となる、門にはそういう哲学的な意味をもっている。ロ−マの凱旋門でもその門を入る出てゆくでは違った感覚になる。門は一つの境界でありそこで心が変わる。門弟とか門人とか一門というのも門を入り共同の世界に住むということがある。しかし門を出れば門人だけではない、他者の人ともまじわる秋のくれとなる。門の中だけではない、街に出て広く交わる秋のくれである。門の中と外では相当感覚的に違ってくるのである。
一柱門を 出れば すぐ 目を剥く 娑婆世界の 惡鬼を 追い出す 四天王門が お寺を 守ります。
門は中に入るものを拒む世界でもある。入門することは誰でもできるものではない、覚悟があるものを入門させる、門を入ることは覚悟が必要である。「狭き門より入れ」である。誰でも容易に入れるような所はすでに汚れた場所なのである。現代は余りにも容易に聖なる世界に入れすぎたのである。どこもかしこも観光になっている。宗教はカルトになり相手かまわず勢力拡大に入れるだけなのだ。門は広き門になりすぎたのだ。娑婆世界の悪鬼を所かまわず入れているから現代の宗教界は悪鬼の巣となっている異常である。
これはインタ−ネットでペ−ジをめくるようにして拾い読みして文章を書いた。こんなことは本ではできない、キ-ワ-ドで調べていて自然とそうなったのである。インタ−ネットを読むことはその人によって常に編集して読むことになる。編集することは創造なのである。本作りで編集者の仕事が作家と同じように重要視されているのはそのためである。作家と共同で編集者は本作りにたずさわっていた。インタ−ネットも編集するときそこに新たな創造的なものが生まれている。膨大な部分が結ばれて一つの新たな創造的作品となる。インタ−ネットは新たな知的な創造を作り出すものである。本の世界は特権のあるものしか関与できなかった。インタ−ネットは万人に開ける知の世界を提供したのである。インタ−ネットを読むことは編集能力が必要となるとこれは高度な作業だからかえって深く背後まで読める人でないと編集できない、だから若い人は部分の知識に埋もれて新しい創造をすることがむずかしい、断片の知識に埋もれてしまうのである。その最たるものが2ちゃんねるとかの情報世界である。そこに何が起こっているか断片的にしかわからないのだ。全体的に何が起こっているのか把握することがむずかしいのである。だからインタ−ネットの世界は誰かが編集して全体的に何が起こっているのか何が重要なのか知らせる人が必要なのである。