2005年12月17日

日時計

sundial.JPG

日時計に冬の日めぐる寂けさや

the sun rolling over
and shining in winter
a sundial in stillness


日時計や枯野に薄る日ざしかな

時の感覚は時計の時の感覚と日時計のように自然のリズムを基にした時の感覚は実際はかなり大きな変化であった。時計になると一秒刻みの時の感覚である。しかし太陽を基にした感覚はより自然だから時計によって追われ精神がさいなまされることもない充実した時の感覚なのである。そういう時の感覚だと心も充実してくるしいやされる。人間は今や時間によって消耗されている。時間によって充実しないのだ。古代の神の像はある意味で人間を模したものだがアモイの像でもその顔には自然の大きなリズムが投影された悠久さが感じられる。その眼は海原のかなたを見つめ風の音を聞き時の中に充実したまさに人間の顔、原生人間の顔があったのだ。時によって消耗されない人間の偉いなる顔があった。遠くの海原を見つめているということは期待する時間なのである。何かを期待して待つ顔なのである。今人間の顔はピカソの顔のように文明によって消耗され分裂、アトム化された人間ならざるものになっているのだ。そこには自然のリズムが反映していないからそうなるのだ。

日時計で気づいたことは星時計の方が正確だということがでていた。北極星とか北斗七星にあわせる星時計が正確でありそのペンダントを売っているのも面白い、これは実際航海につかわれた。砂漠でも星が目印であり星が方向を示す、砂漠や海では方向が大事だから星が目印になる。だからたいがい砂漠では星をあしらった国旗になる。砂漠とか草原の遊牧民が航海民になったということはこうした文化の同質性からである。インタ-ネットでは言葉から探すから変わった物を売っていることに気づいた。星の時計なんか持っているだけでもいい飾りになる。5千円だからこれも買うとなると高いがそれでもそういうものがあるということにインタ-ネットで気づかせるからこうした変わったものが売れることがでできた。こういうものがあるということを知るから欲しくなるのだ。ただこうしていちいちこういうものを買っていたら大変である。

星時計
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