2006年10月15日

酒泉(百羽の燕)

シルクロ−ド百羽の燕酒泉かな

朝、酒泉の塔の回りに百羽くらいの燕が飛んでいた。シルクロ−ドでにぎわった所だからふさわしい。中国とか外国は俳句にするのがむずかしかった。俳句は日本の風土でつちかったものだからである。中国に漢詩があっているというのは漢詩は一つ一つ独立した絵であり一つ一つの漢字が建物ののようにも見える。極めて絵画的なものでありその漢字を組み立てものが漢詩とかになる。中国に行くと漢詩を作ることができなくても風景が壮大だから漢詩的になるし漢詩にするとぴったりだとなるから風土から作られるのが文化なのだ。ただアルファベットには絵画的要素がないから音だけだからかなり違った文化となっている。

日本人は読書というと一ペ−ジでも絵画的に文章を読むということがある。それは漢字が中に入っているからなのだ。漢字は視覚としてイメ−ジされからなのだ。もしかなだけだったらアルファベットととにてくるのだ。視覚的にイメ−ジできなくなるからだ。この点が大きな違いである。英語はパソコンのプログラム言語としてし向いていたが漢字とかかなとなると向いていない、これも大きな文化の相違でありコンピュ−タ−文化が作れなかった原因であった。


中国夏紀行−俳句

http://www.musubu.jp/chinanatutabihaiku.htm
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