2006年10月14日

認知症の悲しさ(金のことがわからない謎)


認知症の姉の悲しさ今日も言う金あんのか虫の鳴くごと

認知症の病気は全く謎めいてわからない、銀行にいつも金はあるし金に困ることはない、でも金がないと思っているのか毎日「金あんのか」と言う、金のことがわからなくなる不思議である。毎日金はあると言ってもだめである。「金あんのか」と聞いてくる。これがなんとも悲しいのである。この不思議は例えば一億円銀行にあっても認知症になるとわからなくなるのか?他の人はどうなっているのか、嫁に金が盗まれると銀行まで言って聞いたというのはこれは共通している。金のことがわからなくなり不安になり金が盗まれるとなる、一億円あっても金があるといっても金あんのかとなるのか?おそらく一億円もっていても金はもはや自分のものとして管理できない、誰かに管理してもらうほかなくなる。財産も管理できない、ここがなんとも不思議というほかないしなんともあわれだし側にいる人まで悲しくなるしあわれになる。なんでこうなふうになるのか?大人としての話は通じていることもあるのに金のことがわからないのだ。銀行のことがわからなくなる不思議である。

認知症にもいろいろあるけど認知症になったら人間は悲しくあわれなものだとつくづく思った。なぜこんなふうになるのか、かといって馬鹿になったのとも違う、人間の情が確実に通じているし人間としての大人として話が通じないわけではない、今は暴力はないからそうしたこの病気の悲しさあわれさをつくづく感じるしこっちまで悲しくやるせなくなってしまうのだ。認知症の人は病気になる前に好意をもっている人、息子でも娘でも妻でも夫でも友達でも好意を持ちつづける。好意をもっていなかった人はあからさまに拒絶するようになる。嫌な人とはつきあわないのだ。息子でも娘でも親だったことは忘れず施設に入っても訪ねると「弁当作ってやれないですまないな」とか相手を病気になる前と同じように思いやるのである。だから家族と一緒に暮らせるようにしたいとか言うのだ。人間的情緒はなくならない、確かに金の計算とか金のことはわからないにしても愛していた人や好意ある人にはいつまでも好意をもち続けている。これは誰かわからなくなっても親切にしてくれる人だと思って好意をもち続けるのだ。

認知症は本当にわかりにくい病気である。でも今のところ人間が人間でなくなるようなものにはなっていない、あわれで悲しいのだけど情が通じ合っているから余計に自分も悲しくなる。好意をもっている人にはいつまでも好意をもちつづけているのだ。嫁と姑の関係はそもそもその最初から好意を持つ関係でなかったから認知症になると致命的に関係が破綻してしまうのだ。お互いに最初から好意をもっていないし嫌なものだという関係からはじまっているから認知症になると致命的な破綻になってしまう。認知症にならなければがまんできることもできなくなるのだ。憎悪とかがむき出しになって現れ暴力にまでなるのだ。なぜこんなふうに人間がなるのかこれは何か深い理由があるのだろうか?これは心とかかわっているから謎めいているし不可解で解明できないとなるのだ。
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