2008年04月26日

チュ−リップ(病院は無機質な空間)


病院の外や黄に赤のチュ−リップ


街中にチュ−リップ色々あざやかに

チュ−リップ病と心をいやす色

夜の9時には一斉消灯、離れた看護士の部屋に灯る明かりがなんとも侘しい夜。
非日常空間のなかで願うことは、「ああ!!早く家に帰りたい」


病院の医者が何も説明してくれないこと、抗癌治療などをしているときには、食欲などはまるでなくなるのがふつうだという。ところが病院は、それを知っていながら、食べもしない食事を三度三度もってくる。そういった機械的なことがあまりに多く、そして、本当にして欲しいことにほとんど配慮がなされない。
 
病院に三カ月も入院していたら認知症はますます悪化した。病院は確かに体のことはめんどうみる、看護婦も体の世話はしてくれる、それも機械的であり規則的であり決まりきったことをかたづけといくというふうになる。それだけでも下の世話などは大変なのだが病院は無機質的なあたたかみのない空間なことは共通している。一般的に病院はそういう場所であり人間的なものを求めるのはむずかしい、ここでは医者と親身になって話したことがない、医者と病室で一回くらいあったがあとはあっていない、大病院は患者が多いから一人一人の患者に親身になることはない、事務的、機械的な接触しかない、だから嚥下障害でも一日一回はゼリ−のようなもの食べさせたりリハビリも一日一回専門の人が来るがこれも機械的であり一人の人間に長くはかかわらない、そしてもっと何かを食べさせることができないのかときいても医者の許可がないとできないと言われる。でもその医者と話すこともできないのである。私は病院に行ったら車椅子に二三時間くらいのせて病院のなかを回る、これだけで相当なリハビリである。病院は一般的には無機質でこういうものでありこれが悪い病院とはいえない、普通である。リハビリすらしていない病院があるのだからましな方である。
 
でも医者の対応は悪いのかもしれない、前にも書いたが最初は驚いたが大病院では医者は一人の人に親身になることはない無機質、機械的、規則的、事務的、・・・・これが一般的に病院の特徴でありこの病院が特別ではない、病院には精神的ケアは欠けているのだ。看護婦は多少精神的ケアをしてくれるがこれも十分ではない、わずかである。どうしても対応がになりやすいのである。そもそも現代の文明そのものの空間が無機質的なのだから病院に人間的接触や空間を求めることはむずかしい。今は向かいの人はしゃべれないののと良くしゃべる人は外泊でありそのしゃべれない人と二人になる夜は淋しい。それでなんともいえぬ声で嘆き泣いている。これは亡くではなく異様な泣き方なのである。涙は出ていないしあんなふうになったのも認知症が悪化したせいもあるがやはり病院の無期質的空間接触も関係しているかもしれないがかといって家に帰りたいと言っても世話が大変でできないのである。ここでは軽い人が多くみんな家に帰る人が多い、だからがまんしても短いからいいとなるが三カ月となる長いので病院は良くないと思ったのだがどうにもならないのだ。
病室の天上カモメの染みあって私を海へと誘(いざな)ってゆく
ほの暗い夜の病室天上のあの影の中魔物がいる
病院のカベ水平線に見える日よ せめてカモメよ舞いきてほしい
病院ですすり泣くのは私です幽霊などではなくこのわたし
(宮田美乃里)
 
インタ−ネットで読んだ短歌の女性は33才で死んでいた、生きていると思い引用しなかった。死んだら引用していいのか?病院に長くいるとこんなふうになるのは共通している。天井ばかり病院の無機質な壁ばかりながめているからだ。すすりなく・・・・病院には本当に幽霊がすすたないている・・・その声が聞こえる・・・・病院は無機質な空間になりやいのだ。
 
車椅子で病院の外にちょっと出て咲いているチュ−リップを見せた。街中には色々なチュ−リップが咲いていた。デジカメで今度はとってみよう。チュ−リップは街中がにあう花である。やはり華やかだからそうなる。そもそもチュ−リップが野原に咲くことはイメ−ジできない、園芸種であり野生のチュ−リップはありえない、チュ−リップの色は鮮やかであるから健康的であり病と心をいやす花でもあった。
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