2008年04月23日

相馬市(日立木の薬師堂の宝暦の碑−甲子塔の謎)

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 日立木の薬師堂の宝暦の碑−甲子塔の謎
 
 
●宝暦飢饉との関連は?
 
ここに薬師堂があり宝暦と文政の碑があった。宝暦は1700年代とすると相当古い、ここは古くから人が住んだ場所なのである。飯館村にあるこの碑も宝暦であり南無阿弥陀仏碑がここにもあり飢饉と関係しているかもしれない、飢饉が江戸時代にはありそれの供養の碑も結構ある。
 
「南無阿弥陀仏碑  」 高さ2メートルを超す御影石製の碑。宝暦の飢饉の後建てられた餓死者供養の碑。(塩の道−六字名号塔)
 
宝暦の飢饉(宝暦年間 1753年〜1757年)なども東北地方を中心にに被害をもたらし、四大飢饉に次ぐ飢饉として挙げられる。東北地方の専門家は、天明・天保の飢饉に宝暦の飢饉を加えて三大飢饉と呼ぶこともある。
 
宝暦5年だからここには宝暦一二年と読めるからそうでもないのか、宝暦一二年は
 

甲子供養塔1762 壬午 宝暦12

 

●宝暦の相馬藩主 
 

相馬斉胤(そうま なりたね、宝暦12年9月(1762年) - 天明5年7月29日(1785年9月2日))は、相馬中村藩8代藩主・相馬恕胤の次男。母は青山幸秀の娘。通称は伊織。
宝暦12(1762)年9月、相馬因幡守恕胤の三男として中村に誕生した


明和9(1772)年9月4日、恕胤は齋胤を嫡子とする届けを幕府に提出。10月23日には御目見の願書を提出した。そして11月1日、願いの通り御目見えが許され、恕胤は齋胤を伴って江戸城に登城。将軍・徳川家治に謁見した。

 しかしこの直後、齋胤は大病にかかり、恕胤は急遽齋胤を廃して、妾腹の子・吉次郎を嫡子とすることを決めた。この当時、後継者がないままに大名が亡くなると、その家は取り潰しと定められており、恕胤も苦渋の決断であったと思われる。

 安永2(1773)年3月25日、恕胤は正式に齋胤を廃嫡とし、4月13日、幕府に齋胤は病気のために嫡子を退く旨を報告。22日、妾腹の吉次郎を新たに嫡子と定めた願書を幕府に提出した。
 安永5(1776)年、嫡男・哲之助が誕生したが、3月15日、亡くなった。法名は曹源院殿洞水一滴大童子。安永6(1777)年3月15日には次男の健次郎(内記)が亡くなった。法名は紫雲院殿玉英智?大童子。さらに同年12月18日、三男・俊太郎が亡くなった。法名は洞林院殿丹山玉鳳大童子。

相馬氏−代々の歴史
http://members.jcom.home.ne.jp/bamen1/
hanshu321.htm#satitane


このような歴史が残されている。いかに藩主で豊かな暮らしをしていても子供は死ぬことが多かった。それで妻妾というと今なら不道徳に見えるがこうして嫡男が病気になると藩が取りつぶしになるのだからやむをえない事情が当時あったともとれる。子供は半分くらい生まれても死んでいるからだ。飢饉であれ病気であれ江戸時代を生きることは容易でなかったことがこれからもわかる。ここは歴史的事実であり小説ではないから江戸藩邸との具体的な行き来がわかって興味深い、ここでは確かに相当に苦慮したのである。
この碑は飢饉の供養というわけではない、「甲子供願」とある。飢饉の供養塔ではない、餓死供養塔とか明確に記されているのがあるからだ。
 
子を鼠と結び付かせ、鼠を大黒天の使者と看做して、大黒天祭(甲子祭)が行われる。また、甲子待(かっしまち)と言って、子の刻(23時ごろ)まで起きて大豆・黒豆・二股大根を供え、大黒天を祀った。

甲子様(きのえね)の日には何か丸い形をした御馳走を作って大黒様に供えた記憶があります
 
甲子様は大黒天のことでありこれは日本全国に広がってある。甲子園自体有名であるがこの甲子様から出てきていたのである。碑の○は円満とかを象徴しているのかもしれない、隣にあった湯殿の碑は文政(1818)だから百年後であり宝暦にはまだ湯殿信仰は伝わっていないかもしれない、宝暦時代に何があったか相馬藩の跡継ぎ問題が最大の問題となっていたかもしれない、他に何があったか?そのあと宝暦の飢饉が東北で起こったことは確かである。岩手県の方がひどかったらしい、このように一つの碑から語るものがある。これを読み解くのはむずかしい。ただ宝暦は相当古いから興味をもったのである。郷土史研究はそれなりにコツがあるのだろう。私がしている方法は今はインタ−ネットだけである。ここで芋づる式にキ-ワ-ドで探して編集しているのである。ただインタ−ネットだけでは相馬藩の歴史も膨大だからわかりえようがない、しかしこれが図書館で調べるとなると相当な暇が必要であり今はできなくなった。キ-ワ-ドでは簡単に調べられないからだ。

 
 ●当時の百姓の会話


「おれらの城の殿様大変なこった、病気になって跡継ぐことできねえと、藩がとりつぶしになるべえ」
「側室様がいるから大丈夫だよ」
「それもそうだな、側室様はどうしたって必要なもの」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ええ、またあとついだ、殿様の子供が死んだって、次々に死ぬもんだ、病気には殿様も勝てないよ」
「んだんだ、おらの子供も二人も死んだしみんな子供死んでいるよ」
「まあ、供養して拝んでもらうほかないわな」
「法名は

 
曹源院殿洞水一滴大童子 紫雲院殿玉英智大童子 洞林院殿丹山玉鳳大童だと
 

「たいそうなな法名だよ、菩提寺のお寺に葬ってもらって成仏してもらうからいいだろう。」
「おれらも小さな墓でも建ててやるべか、墓を建てるのも金がかかるで・・・」

「みんなで地蔵様を建てて供養した方がいいよ」
「それもそうだな、その方が安上がりだよ」

「ともかく病気には殿様でも勝てない、病気にならねえように薬師堂に祈ることだ」
「甲子様にもともに願い祈ることだよ」
「殿様もえらいことだがおれらもえらいことだよ、子供は病気で死ぬのは同じだで・・・」

 

ぼたもち地蔵の由来
http://www.houzenin.jp/mizuko/jizou.html

 
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posted by 老鶯 at 01:01| Comment(0) | TrackBack(1) | 歴史(相馬郷土史など)
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