2006年10月10日

福祉 給料なぜ安い

福祉関係で私のホ−ムペ−ジに「福祉 給料なぜ安い」と来るのが多い。こういう人はまず一般人と同じく給料から仕事を探している。それで福祉関係がなぜ給料が安いのか、仕事は実際楽ではない、汚い仕事をおむつの取り替えなどしている。それなのになぜ安いのかとなるのは当然である。家族でもしえないことをしているのだから安いのはおかしいというのは当然である。でも福祉という仕事の性質が他と違うからそうなっているのだ。地方で地域通貨というときこれは福祉関係では必要だからだ。福祉ではグロ−バル化はマイナスに働く、どうも福祉の仕事は他の物作りとか効率を良くして利益第一主義な仕事とはかなり違った性質のものである。これを利益優先だけでやると問題がでてくる。福祉が金になると今までの企業が入ってくるとそこに問題が生まれる。福祉とは働く(はたらく)が端(はた)を楽にするという日本人の労働観などがあっている。大家族の時代は端を楽にするということで介護でも仕事もしていたのだ。誰かが介護などで苦しんで忙しいから近くの回りの人が少しでも楽にしてやろうというような働き方があっているのだ。

福祉というのは今までの企業のような考えでやるとうまくいかない、利益をあげるのが悪だというのではなく福祉の仕事自体が性質が違うために起こっているのだ。「福祉 なぜ給料が安い」というキ-ワ-ドで私のプログに来る人が多い。福祉で働くにしても給料第一主義になるのはやむをえない、でもそれが何か福祉にはあっていない、地域通貨の趣旨も目的も福祉とは一致する。賃金、金銭だけには換算できない経済の仕組みを作ろうとしている。建物や道路や電気製品や様々なもの作りはハ-ドウェアと福祉とか教育とか医療の分野は利益第一主義ではうまくいかない、利益をあげるのは悪だとかいうのではなく仕事の性質が違っているからそうなる。医療でもハ-ドとしての設備を充実させるのと医者とか看護婦とか人が大事なのだという。医療は手術の上手下手とかハ-ド的側面も強いのだが看護とか介護とかになるとソフトの側面が重要視される。医者も、看護婦も家族の愛情にはかなわない、家族の愛情が奇跡を起こした例はある。愛の呼びかけで意識を取り戻した例はそれなりにある。機械でも腕のいい医者でもなしえないことが家族の愛が成したとなる。これは認知症の介護などでもそういうことがあるに違いない、精神病も医者に頼っても直らず家族の介護で直ったという例もある。

団塊の世代が起業しして成功している人にあなたのやっていることは会社でやっていたこと同じではないか、それでは退職してからの仕事としては意味がないという人がいたのは不思議だった。金をもうけて悪いという人はいないからだ。団塊の世代が退職したとき別な価値観で働く者がでてくるとすると福祉のような世界で活かされる、現実活かしている人もいた。いづれにしろ福祉というのは建物を立派にしても人が大事でありその人をどう確保するのかが問題なのだ。給料をあげなければいい人材は集まらないというのも確かである。でもそれだけでも解決しないむずかしい問題があるのだ。看護婦が家族の代わりはできないというのもそのためである。医者も体はみても介護は家族の仕事になる。ではこれをどうするかということは大きな課題でありこれからの仕事である。地域支援センタ-とか在宅に介護がシフトしてもそういう体制も人材もない、そういう地域とかを大家族とか壊してきたし重度の介護は最後の頼みが施設になっているからだ。具体的なものとして施設は何かにや言っても頼りになる具体的なものとして存在しているからそうなる。地域といっても隣同士が助け合うとかも実際はむずかしい、いがみあっている隣が多いではないか?日本の高齢化社会は急速でありその備えが作られていないのだ。
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