2005年12月15日

干し柿


干し柿の匂い老母によりそいぬ

人へりし町に枯木の十数本


干し柿が庭にぶらさがっている。そこで干し柿の匂いをひさしぶりにした。干し柿は食っていないが干し柿の匂いに何かなつかいしものを感じたのである。大正生まれになる90の母は干し柿とか納豆が好きである。納豆は毎日食っている。なぜかというと子供のとき食っていたからだ。みかんなども食っていないが柿とか干し柿は食っていたのである。卵は病気の時しか食っていないしバナナなども食っていない、梅干しとおつけくらいが庶民の食事なのだ。もともと粗食だから今になると栄養がよく長生きしていることが考えられる。干し柿というものを私は食わない、果物が多いからリンゴが好きだから食っている。干し柿は食う気しないのだ。一般的に子供のとき食ったものはなんでもおいしいと大人になっても食いつづける。ハンバ-グを子供のとき食っていれば大人になってもその味が忘れられない、子供のとき味覚が作られるのだ。だからアメリカでは子供のときハンバ-グを食わせて日本人に牛肉を輸出する戦略だったというのもわかる。これも文化の破壊だったのである。文化はその土地でとれたものを食うのがいいのだ。郷土食というのが各地にあった。それも失われたのだ。貧しいなかで工夫したのが郷土色だからである。

どこでも地方では人口がへっている。我が町でも一番多かった時より5千人へっている。日本人自体が少子化で縮小してしゆくというのは時代の流なのだ。狭い日本では人口自体多かったのである。東京辺りはあまりにも大きくなりすぎた。だから人口は分散して余裕ある生活を目指すようになるのが自然である。日本は人口減少期に入ったのでありこれも自然の摂理でありこれをくいとめることはできない、それに見合った国造りをするほかないのである。十数本の枯木は枯木になり町を支えあうことになる。なんでも増える時代は終わったのである。
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