馬を育て馬と別るるあわれかな馬頭観世音に秋風の吹く
此辺の若駒は凡て婦人の手で育てられるので、優しい別離の場がこの日何回も演ぜられた
勢至菩薩は馬の守護神かと思はれる。奥州では処々にその石塔がある。
http://www.kurikomanosato.jp/00x-10-44yk-kikou-05.htm
勢至堂峠は馬の守護神の勢至菩薩からきていたのか?猪苗代の方に汽車が通ってから白河から勢至峠−福良−会津への江戸時代からの街道はすたれてしまった。でもこちらの方が旅するのにはいい。取り残されたような鄙びた世界が残っている。この道を会津若松まで自転車で行ったがやはり遠かった。勢至峠には昔の面影はない、ここで書いたある馬のことを知って昔を偲ぶことができる。馬というものが昔は人間と一体となりまるで家族のようにして暮らしていたかを知る必要がある。曲屋では馬と一緒に住んでいたからだ。馬への思い入れが強いのである。だから育てた馬との別れは人間と同じように情を感じていたのだ。馬が交通の時代は人間的な情が通う時代だった。自動車の時代は無惨な交通事故の非情な時代である。
家族で交通事故の被害にあわない人はいない、鞭打ち症の重いのになった人は大変である。脊髄がやられてその治療のために保険がきかないので大学病院で200万以上かかるとか車は便利な物でもその代償も大きいのだ。そして自動車は人間の情を殺してしまうから人間の心を荒廃させてしまう面もあるからこれは文明の問題である。自動車文明でありそこから生まれる問題は教育でも解決しない、現代の文明から様々な問題が生まれるのだから教育もその一環としてあるとき教育だけを良くしようとすることはできないのだ。だから結局教育改革も徒労に終わりやすいのである。
2006年10月08日
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