白と黄の水仙活けぬ病室に
白と黄の水仙静か田舎駅朝の電車のもはや来たらむ
病院に若き看護婦の声ひびき夕べあまたや桜散りにき
病院の回りに散りし花を踏み若き看護婦の声木霊しぬ
ようやくここにも燕が来た、三羽くらいが朝飛んでいた。駅の花壇には水仙が咲いていた。田舎の電車や駅は必ず待つ時間がある。三分おきになどでていないからだ。ここでは一時間おきである。だから必ず五分くらいどんなにしても待つ時間があるのだ。その待つ時間がゆとりであり俳句や短歌を練る時間なのだ。白と黄色の水仙が咲いているという時、これが都会のようにあわただしいと白と黄色と二つの色の水仙を見分けして見ていられないのだ。ただ水仙が咲いているとはみれるが二つの色を見分ける余裕がないのである。旅でもこの余裕がなかったら旅した心地がしないのだ。新幹線にはすでにこの余裕はなくなっている。駅に待つということすらない、飛行機にのる感じになっている。
病院とは三カ月通ってそこが別な異空間、非日常的空間なことがわかった。人生の中で病院生活を体験することは若い時はなかなかない、しかし老人になると必ず病院生活を体験する度合いが大きくなる。高齢化では特にそうである。脳出血でもなかなか死なない、そして介護するということも多くの人が普通に体験するのである。介護され介護するという二つのことを体験することが人生の中で起きてくる。それは人間としてこれまでにない経験をすることになる。男でも介護することが多くなるのだ。ただつくづく介護は女性が向いている、女性のやさしさが介護に向いている。病室に水仙を活けた隣の人だったが病室に活ける花はまたちがっている。違った色合いをもつようになる。病気になど誰もなりたくないが人間の不思議は病気も必要なのかということである。病気によって人間は弱さを知り人のやさしさを知ることになるからだ。強い人も病気になり老人になると弱者になる。それで人間は弱いものであり助け合いが必要でありやさしさが必要だとかなる。強い人として生きた人も病気になり老人になる時はじめて感じる場合がある。高齢化社会は老人として長生きするとどうしても自らの弱さを知り弱さを生きるということを経験する。これは人生の最後で意味あることかもしれないのである。
世間の荒々しい風はここに吹かず
病室にはやさしさといたわり
白と黄の水仙が活けられ
今日は静かに病人は眠る
人生最後の日々に
やさしさといたわり
ただなぐさめの言葉があり
苦しみにも心やわらぐ
やがて死すともそのやさしき声は
そこにひびき聞こえぬ
「やがて死ぬ景色は見えず蝉の声」−芭蕉・・・やがて人は死ぬ・・・でも死んだ後にも蝉の声がひびいていた。余韻のようにひびいていた。芭蕉は耳の詩人である。その蝉の声はやさしい看護婦の声だったともなる。今は看護婦だけではない、介護士やらリハビリを手伝う人と様々な人がいる。これらの人は医者とは違う、医者はどうしても看護婦と分野が違うのである。看護婦と介護する人は近いが医者は体だけをみる体を機械としてみる、体の悪い部分を診るというだけで看護婦とか介護士とかリハビリ師とかとはちがっている。介護するのは家族のように家族的役割をになっている。家族になれなくてもそういう仕事にもなっているのだ。体だけでなくいたわるという役目もになっている。あそこの病院はとにかく桜が回りに一杯咲いているので環境もいいのである。今は満開でありすでに散り始めた。
世間の荒い風というと病院にも吹いていた。それは後期高齢者の保険料引き上げとか病院を三カ月でだされることなのだ。現実に病院で知り合った人は三か月ででてくれと言うことで別な病院に移るという、私も言われたが三カ月すぎているけど催促はされない、病院にも安住の地はない、施設にも入れない、自宅に返されたら地獄になる。病院は治療するところであり長くいるところではない、別な安住の地がひつようなのだが資金の面などで見つからないのだ。