
古池になづみ暮れゆく秋薊
インタ−ネットの便利なのは前書いたものを簡単に変えたり書き加えたり他のサイトと結びつけたりするこ、絶えず結ぶ(musubu)ことで知識が拡大化してゆくことなのだ。膨大な本サイトはほとんど百科事典の一部みたいになっている。一回しかみない人が多いからだ。それでも読まれているのは情報量が多いからだ。百以上のアクセスが常にある。つまりキ-ワ-ドから読む作業をしているからそうなる。こうした読み方は今までなかった。インタ−ネット独自の知識の探求なのである。
インタ−ネットでは地方的な研究でも例えば地名研究などは他と連結できるから一地方の研究ではなく全国的に参照されるものになる。今までだったら本の世界ではほとんどそうした読み方はできない、地方的な本は全国的にはほとんど読まれなかった。インタ−ネットの問題は学術書的なものが少ないことなのだ。これは本の世界で蓄積されてきたから一パ−セントくらいしかないような気がする。学術書的なものがインタ−ネットに公開されたらすごいものとなる。図書館で調べ物するのは暇人でないとできない、インタ−ネットだったら家でやれるし即発信できるから家が研究所にてるから便利なのだ。
この句は古池と秋薊から発想されたがこれも前の書いたものをここで組み合わせて結び活かしているのだ。あざみの特徴はほぼ一年中咲いているしそこに意味がある。継続して咲いている。常に身近にあるのだが余りめだだないし花といえない花である。だから何か古池ににあった花だった。
古池(蛙)
http://musubu.sblo.jp/article/1399981.html