2008年04月16日

塩釜神社の桜

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歌十首詠みつつ歩み夕鶯


塩釜の裏参道や夕鶯

塩釜の標や古りぬ夕桜

船に着く塩釜古りぬ花に月

塩釜に辻の多しや春の闇

海望み塩釜神社花盛り


夜桜や塩釜神社に月の影


 



濃艶に枝垂桜の塩釜の社を飾り夕暮れにけり


木蓮の白き清楚さ神主の楚々と歩みてもの言わざりし

七曲がり道の古きや鶯の鳴きあい夕べ我が踏み歩みぬ

七曲がり道の古きや散る椿夕陽のさして我が踏み歩みぬ

塩釜の社の桜様々に色合い深く夕暮れにけり

花の色織りなし深め海暮れて夕月光る塩釜の社

境内に桜古りにつ並ぶかな塩釜神社夕暮れにけり

清楚にて榊一本祀るかな春の夕暮神主歩む

春の花通りに飾り老いも若きも行き交いにけり

朴島をめぐり帰りぬ塩釜の社に詣ず春の夕暮

島々をめぐりてここに神々を集め祭らむ春の日暮れぬ


 
●塩釜にも八十島祭り
 
塩釜の 浦吹く風に 霧り晴れて 八十島かけて すめる月影  千載和歌集
 
八十島は国土を意味する大八洲(おおやしま)の古いよび方である。岡田精司(おかだせいし)氏によれば、この祭りは新しく即位した天皇の体内に、国土の支配者として、大八洲の国魂(くにみたま)を取入れる呪術的な祭儀であったとされている
 
大阪には八十島があったけどそもそも日本の国は島を治めることからはじまった。だからシマとはまさにオレのシマだというとき自分の支配する国がシマなのである。だから八十島祭りと天皇が古くから密接な関係があった。八十島祭りというとき松島も八十島がありにているのだ。一つの島を巡り帰り塩釜の神社に詣でるときその島の国の御魂を持ち帰り本殿に祀り集める、それが八十島祭りの原型だったかもしれない、島々を治めることが国のはじまりだった。そこに密接に天皇が祭祀として関係していたことでもわかる。
 
神社とは何かというと何を祀っているのか?これが定かではない、桜を祭っているのか?榊が一本祀られている、榊は文字通り神の木であるから木を祭っているのか、明らかに自然のものを神として祭っている、そして自然に仕えるのが神社の原型なのだろうか?塩釜神社は鎮守の社として狭苦しい街の中に保存されている。参道は四つくらいあるのも面白い。裏参道は芭蕉が参拝した道であり今回降りた道は別な参道だが裏参道のようであった。七曲がりとかいろいろあるのが塩釜神社の面白さである。昔の通りも歌の石碑や水が流れていたり伊勢物語の屏風を石にしたりとなかなかいい工夫をして作っている。塩釜は狭苦しいので道がわかりにくい、辻も多いからわかりにくいのだ。なれればわかるにしてもはじめての人は迷ってしまうだろう。
 
●芭蕉が見れなかった塩釜の桜
 

待侘候(まちわびそうろう)塩竃の桜、松島の朧月
と書いた芭蕉でした。塩竃の桜と、松島の朧月を観ることが、出発前のおおきな期待だったようです。

塩がまの浦に入逢(いりあひ)のかねを聞(きく) と書いていますから、夕方です。日没に打たれる“暮れ六つの鐘”を、聞いたのでした

塩竃に着いた時は、朝からの小雨もすっかり止んで、この日は月星の夜であったようです。
  五月雨(さみだれ)の空、聊(いささか)はれて、夕月夜かすかに、籬 (まがき)が嶋も程ちかし 


塩竃に着いたこの日は、鹽竈神社・裏参道、女坂を下ったところに在った“治兵衛”という名の旅籠に宿泊。

帰りは七曲がり坂を下って宿に泊まった。塩釜で句を作らないのはやはり季節にもよる。塩釜の桜は見事であった。この桜を見れず芭蕉は去った。
 
塩釜の桜を見るに遅しかな芭蕉は去りぬ五月雨のあと

芭蕉を知ろうとしたらその跡を歩いてみないとわからない、それは相当な労力であり簡単にはできない、しかしできないことはないのだ。自転車でもいい、とにかく芭蕉のスロ−な時代に近づける努力をしない知ることはできないのだ。早すぎたらだめなのである。奥の細道はそれなりに遠大な旅であり一歩一歩歩み陸奥の奥に分け入れる旅だからである。その息づかいを知るには同じようにスロ−な旅を試みるしかないのである。バイクとか車だったら全く理解できないものである。
 
細道を一足一足歩む影芭蕉の跡や今日もたずねむ
 

塩釜でも句を残せず松島でも句を残せないのは季節的なものがあたかもしれない、また松島を良く見ていられなかった?意外と旅は急ぐから見れない場合がある。事前の知識も問題になる。今ならどこでも何度でも行けるから詳細に検討できる。私自身最近遠くに旅行できないので近くを探索している。すると仙台から近い所が一番行き安いことがわかった。そのなかで松島はやはり一番魅力ある場所なことに気づいたのである。
いづれにしろ塩釜→松島→石巻では句は残していない、夏になっていたというから季節が関係していたのか?でも平泉では残している。五月雨とかなるとやはり句も残しにくかったことは確かである。

 
 
 
 
 
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