
鬼百合や轟く激流奥会津
写真から構成して俳句を作った。写真から思い出して再構成したのだ。俳句より写真が先にあり写真を見直して俳句となった。伊南川にそって行った時だった。自分がとった写真に感心した。こういうふうにいい写真がとれているのがまれだからだ。デジカメの時代ではないのでいいのが残っていない。写真はやはり現代の最先端をゆく芸術なのだ。俳句より写真が先になる。俳句→絵となったりするが写真は俳句より先にあり俳句が写生だとすると写真が写生であり写真芸術に一番近いのが俳句とならないか?子規は写生というと絵で描いていたけど今はデジカメでいくらでも写生として記録できるから今の時代こそ写生の俳句が写真を通じて花開くのに適している。
福島県は会津の領域が広いのでここから新時代の激流がひびいてくる。なぜなら会津にはこうした雄大な自然がありそれが心に影響するからだ。こうした激流があるのも山国の自然があるからだ。会津からひびいてくるものはこの清冽なるひびきである。