2006年10月05日
古池(蛙)
古池になづみ秋なれ蛙鳴く
古池とはやはり溜池のことだろうか?溜池ならどこにでもある。これが屋敷の庭の池となるとかえって一般的ではない、池のある家は大きな商家とかであり軽くは出入りできない、そこに蛙がいて飛び込むというのもそんなにあるとも思えない、溜池なら蛙はいくらでもいるから蛙が飛び込む音はいつでも聞けるからだ。ただ溜池となると大きいから池という感じではないともとれる。
今年は一回も旅行していない、一年に一回は遠くに一カ月くらいいつも旅行していたからだ。これは自分があまりにも恵まれた自由を提供されていたからである。だからどうも一回も長い旅行をしないから今やいつもの古い溜池により春夏秋とより秋に鳴く蛙に注目したのだ。秋というと虫の声だが蛙もまだ鳴いていたのである。
認知症になる原因は誰もわからない、ただその後の対処方法として環境を変えない生活の継続が大事であることはわかっている。そもそも現代は環境が変わりすぎたことが精神の疾患を多く産み出しているのだ。鬱病にしてもそうである。青年すら環境の急激な変化に対応できない時代なのだ。古池になづみ春夏秋と蛙の鳴く声を聞き季節の変化を感じる。これからは古池、古庭を見直す時代なのだ。こういう点で江戸時代を見直すのはいいのである。家族でも大家族の良さや古き家風とかそうした伝統的なものを見直す時代である。古池とは昔からあるものであり昔からあるものを受け継ぐ、昔からあるものになじみ定着することになのだ。
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