2015年06月06日

青森県の地名の謎 (鉄道の旅は地名が気になり記憶に残る)


青森県の地名の謎

 
(鉄道の旅は地名が気になり記憶に残る)

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今回久しぶりで青森の弘前まで旅した。それは新幹線でありあとは鉄道の旅である。
電車の旅だとどうしも駅名が心に記憶される。
それで自分は全国を旅して地名に興味をもつようになった。
今回もひさしぶりだったのでやはり地名が気になった。
何気ない地名でも鉄を旅はただ駅名だけが気になり風景が過ぎてゆきあとは記憶されないということもある。
地名とは一つの歌枕のようになっているのだろう。
その土地を地名を手がかりに知るというのは古代からあった
万葉集でも地名が基本にある。
日本を知るには地図もないのだからその地名をてがかりにしていたのである。

陸奥(みちのく)の真野(まの)の草原(かやはら)遠けども面影(おもかげ)にして見ゆといふものを 笠女郎(かさのいらつめ)

これも陸奥ー真野ー草原(かやはら)も地名だと自分は推測した。
そしたら歌の中に三つも地名があるのだからいかに古代は地名が大事かわかる

浪岡

健保年間(1213〜1218)には行丘、鎌倉中期には波岡、慶長(1596)以降の徳川時代を通じて浪岡と改めたとされる。
地名の由来について詳細は分らず。

この町の名が気になったのは新幹線から乗り換えて弘前に行くとき山の中をぬけでた所にあったからである。
行丘(なめおか)とするとこの辺の行方(なめかた)郡と呼ばれていたからそれとにている。ナメという地名は滑らか(なめらか)から来ていて一字で滑(なめ)という地名もこのへんにある。
なめらかな丘で行丘となり波岡となった。そういう地形的なものが一番多い。
ここの地形は果たしてそうなっているのかわかりにくい。
ただ山をぬけたところであり行丘だと地形的にはあっているかもしれない。
なめらかな地帯に出てきてそこは人が生活しやすいということからついたのか?
新青森からは山深いなと感じた、今年は早めに春と夏がきていた。
青森も暑いくらいだったが新青森から浪岡にでるまでの山は深く雪がまだ残っていたのである。
やはり地名は地形的なものから名付けられるのが多いから地形を知らないとわかりにくいとなる。
弘前市について一晩とりま川部からのりかえて藤崎という駅があり町があった。
この藤崎もなになのか?

古くは淵先または淵岬と呼ばれていたという。
十三湖が内陸部まで深く入り込んでいたころの名残と見られる

藤崎

五所川原付近まで十三湖だった。丸山三内の縄文遺跡からヒスイが発見された、そこは青森の湾の方に近いからそっちの方からもたらされたのか?
藤崎というと藤とかかわりがあるとなれるが地形的なものだろう。
地名はあとからその名前からいろいろ別な風に語られるのが多すぎるからだ。
藤崎氏由来の説もありこさは安倍氏とかかわっているから嘘とも言えない
安倍氏が藤崎城を築城した時期には、既にこの土地に「藤崎」の地名が
存在していました。
現・南津軽郡にある、この「藤崎」の地名の由来は――
平安時代初期の征夷大将軍・坂上田村麻呂が奥州の蝦夷征伐の際、
この地を訪れ、生えていた藤の大木から枝を切り、鞭として使用した。
使用した後の鞭を自然に帰そうと地に突き刺した所は、
「旧跡・藤巻森」と呼ばれました。
鹿島神社の北にある沼州川にちなんで、「沼州」と称された地に
「藤巻森」はありました。

藤崎は坂上田村麻呂にまで由来していて古い、でもこれも後から地名を元にして伝説を作り上げたのだろう。
ただ鹿島神社があることころは蝦夷征服と関係して建てられたことが多いことは確かである。
ここは十三湖の説が地形的にはなる。ただ安倍氏も津軽では蝦夷とかかわりその子孫説がある
青森では良くアイヌ語説の地名が多いと言われる、内(ない)は川であり平内とかそうである。川部とかもそうである。ただこれも別に他でもあるからわからない。
そもそもアイヌ自体が謎の民族だからである。
藤崎で忘れてならないのはここが藤リンゴの発祥地だった。
リンゴは好きで毎日食べているからこっちの方で親しみか沸いた。

板柳町

古くからこの地方に「いたや」「えぞいたや」「おのえやなぎ」などが繁茂していたことから、板屋野木村という地名となった。
後に板柳に改められた。

蝦夷いたやとなっていたのも津軽らしい。

田舎館村 

(1)蝦夷が住む中心であったことから、蝦中(えなか)と称されそれが転化した。
(2)稲作の生活から生まれた大和言葉の「稲家」が転化した。
(3)平安時代に「田舎の郡」と言われ、鎌倉時代になって田舎館と称される。
ここで興味深いのは蝦中(えなか)から田舎館になったということである。
エという言葉蝦夷語に由来していることを前に書いた
それは地形的に高台のものにつけられたののかもしれない

「漬ず」というのを見つけた。「水に浸(ひた)す」とあり、水に浸すと物は水圧で変形するので風貌が明らかに異なる人々に、接頭語の「え」を付け、「え-ひし」「え-みし」「え-びす」などと呼んだのではないかとした


ここから前にコメントあったがこちらの方が地名は専門的だから読んでください



北海道では「江別」「江差」「江刺」「枝幸」「恵庭」「襟裳」「遠軽」「遠別」などをあげることができるし、関東では「江戸」「恵比寿」「江ノ島」「荏原」「海老野」、中部地方では「恵那」、滋賀県では「愛知川」、大阪では「江口」「江坂」「餌差」「海老江」「恵我の里」、中国地方では「江田島」、九州では「海老野」をあげることができる。
「えびす」の語源は、「エミシ(蝦夷)」が「エミス」になり、「エビス」になったとされている。また、「えびす」は蛭子の神さまでもあり、水に関わりがあるから、兵庫県の西宮戎神社や大阪の今宮戎神社のように海に近いところにあるのが多いのである。
http://asahi.co.jp/call3/diary/yamaken/chimei_05.html

エ・エトコ(頭,水源,山頂)
エサシ(山の頭を浜につけているもの,岬)
十三湖の小湾入のある「前潟」のことで,ie (尖った)rum (矢の根)ma (澗)J (尖った矢の根のような澗)
津軽にはほかに恵神崎(えがみざき)と
いう岬もあり,これは西津軽郡の岩崎村の岬である(図3)。この岬角名の語頭の「恵」
の部分にエンルムの「エ」が残存しているかもしれず,あるいは北海道の恵山(えさ
ん)のようにエサン(頭が浜に出ている岬)かも知れない




海老という地名もこの辺にある、それはえひであり海老とは関係なかった。
蝦夷はエミシでありそのエが何なのか、入江とか水と関係していることは確かかもしれない、蝦夷(エミシ)とは水辺に生活していた人たちのなのか
ヤマトはヤマを根拠地にしていたのかともなるがこれもわからない。
地名は何か確証がないのが問題であり勝手に想像で各人が言うから科学的でもないし
想像で作られた地名由来が多すぎるのである。
ただこれでもわかるようにエとは北海道にも広範囲にあるとなると蝦夷とはアイヌなのか?エとは北海道だげではない、日本全国の地名の基になっている。

相馬村 

鎌倉幕府の落人でこの地方に土着した一族に相馬氏がおり、その人物に由来するとされる
相馬藩も相馬氏が移住してその名となった。でも相馬市というのは戦後名付けられのであり新しい名である。相馬市と中村市だったからである。
だから意外と相馬市は地元でも実際はなじみかないのである。
地名でも姓名を基にしているのはまれである。
鎌倉時代に相馬氏の移住はここにもあったし津軽までもあったのかとなる。
タグ:青森地名
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