2015年06月05日

夏の日々(街の墓地から北屋形の方まわる)


夏の日々(街 の墓地から北屋形北海老の方まわる)

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デジタル写真も方角を変えたり近接するとどれかいいのがとれる

これもこういうふうにとれたとは思わなかったのである。


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ニコニコ堂喫茶店

ここは絵になる場所である

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我が前に大きく映えて白菖蒲
青嵐今日も樹々ゆさぶりぬ
三日ほどつづけて森に青嵐

我が墓の前を日々行き暇あらじ花ささじも今日さしにけり
それぞれに人はみな生くこの町に墓もともにし活きるものなれ
死したれどここに生きにし人にあれ見守れるかな墓の前行く
黄菖蒲の水面に写る橋わたり今日もここ行き変わりなしかな
広き庭大輪の薔薇夏日あび山陰にある喫茶店かな
北屋形山陰の道影なして海芋咲けるや行く人まれに
北屋形田の面に静か雲写り行く人もなし家もひそけき
北屋形ものさみしかな夏の日や木陰の道を通り来れり
北屋形や八沢浦にそ面しつつ津波の跡や夕日さし暮る
細道の行く人まれに北屋形影なす道や夏の日暮れぬ




それでいつも街中のすぐ近くにある墓地が自分の墓であり通りに面しているから
毎日通っている
それで花を挿さないでいたのでなんか花を挿さないと父と姉とに悪いなと思った。
父と姉は自分を愛してくれたし家族として暮らしたから今でも遠い人ではまだないのだ。これでわかったことは毎日でも墓の前を通るということは墓を意識するということである死んだ人が墓とともに以前としてこの町で故郷にともに生きているという感じになる。
死んだ人でも墓があればその後と生きている人となお生きているという感じになる。
特に毎日その墓の前を通っている意識せざるをえないのである。
でも今は墓は造花とかさされ花が枯れたままとか手入れされていない
それは意外と地元だけではない、遠くに墓参りする人がいて彼岸とかたまにしか来ないからである。


だから枯れた花とか造花がいやなのである。
造花とはまさに死んだ花なのである。
生け花とは生きた花のことである。花は日々でも変えてさすものなのである。
造花がいつまでもさしているとそれでは墓も活きていない
だからたまに遠くの墓に墓参りする人とは毎日墓の前通っている人とか感覚が違ってくるたいがい市町村でも墓は街の中にあるから身近なのである。
墓などいらないというのも墓の跡継ぎがいないからである。
確かにもう個々の家族の墓は維持できないのかもしれない、しかしやはり墓は以前として人間にとって意味あるものなのである。
墓参りすることは死者を思うことであり死者となお生をともにするということもある
人間の生は今だけではない、過去とのつながりで生きているし活かされているのである。


原発事故で失ったものは何なのか?
確かに補償金はもらったとしてもそうした長い年月でつられてきた村であれ町であれ
過去とのつながりも消失するということもあった
新しい街に移ったらはじめからやりなおしになるからである。
故郷であれ村だって規模は小さくても全体なのである。
自然と人間と過去とから形成された全体としてあり郷土なのである。
その全体が消失することはどういうことなのか問われたのである。
これまでそういう経験をしたということはそんなになかったろう。
だからそこで失ったものが個々に実際は気付かないということがある
でもだんだんと気付くようになるだろう。
それは避難して帰れないとかなった人でしかわからない心境である。
ただ意外と墓というものもその郷土と街と一体化してあったことを認識した。


自分はこの七年間この小さな町を行ったり来たりしただけだった。
介護になると遠くに出れないからである。
毎日買い物に家事に追われる生活だった。
一時は二つの家を往き来していたこともあった。
その間に入院が二回あり母もアパートに二年、交通事故で病院に一カ月
施設に二週間とか変遷したのである。
それも90過ぎてからだった。
90以上になってもこんなに変遷して翻弄される
人間は年取ったから落ち着くと安心があるとは限らないのである。
この辺では高齢化で年寄りが多くてもやはりこれだけの変化に見舞われたのである。
人間は死なない限り安心がないのかとつくづく思った。
墓に花をさす暇がないとかそういうことを今でもつづいている
次々にここを掃除しなければならないとかゴミもだしたあとからでてくる
それをしないとゴミ屋敷にもなってしまう。
三食出すのにも相当な手間であり時間がとられる
その中でなんとか時間をみてプログを書いている
パソコンは何か操作するところがまだめんどうなところがありこれも手間である。
ただこんなに忙しくてもプログを書けるのは出すのが簡単だからできているのだ。
まず4時間とか時間がないとプログだって書けないし
書く材料にさらに何時間とか費やす必要がある
それはただ毎日近くを自転車で暇みては走り回って書いている


北屋形のニコニコ堂には半年ぶりにくらい通った。
中には入っていない、大輪の薔薇の花が庭に咲いていた
あそこで休み薔薇を見るのはいいだろう
ただ食事になると予約制になるから食事はしていない
ニコニコ堂は北海老なのである。北屋形は街の方が見えるのが南屋形になる
だから小さな地域でも色合いが違う、北というと何か淋しい感じになるのも不思議であるだから地名の基本は方角地名なのである。
北屋形は八沢浦に面していたし江戸時代は海がはいりこんでいて港もあったのである。
だから海が見えるから入江があったから風光明媚な場所だった。
そこには細い道があり木陰があり涼しい感じになる
今年は乾燥しているからともかく風が吹き、強い、昨日も森を吹き荒れる青嵐だった。
北屋形の細い影なす道に咲いていたのは「海芋」だった

別名をカラー(Calla)ともいう。 これは以前の分類の名残である。 また、単に「海芋」としても流通している。 「海芋」は「海外の芋」といった意味合いである。 国交のあったオランダから伝わったのが和名の由来である。 俳句では「海芋」が夏の季語であった


あんなところに咲いているのもふさわしいとなる
あそこはほとんど人が通らない、六号線からはずれると細道は土地の人くらいしか通らない、でも田舎はそうした道を行くのが楽しいのである。
そういう道は車より自転車で風を感じ木陰を感じてゆくのが自然をじかに感じるからいいのである。

 
タグ:北屋形
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