2015年05月31日

南相馬市の被害にあった海老の人に聞く (津波で死んだのは早く逃げなかったからー津波の波は早かった)



南相馬市の被害にあった海老の人に聞く


(津波で死んだのは早く逃げなかったからー津波の波は早かった)


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津波の前の海老村

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野球場で20人死ぬ



津波は早い、逃げ遅れて死んだ人が多い


海老浜の津波で流された家の跡に立っている人がいた。
それは海にじかに面して家だった。
前に聞いた話では津波の波は海老村に襲ったのは高い所からと聞いた。
実際は違っていた。津波の波は右田の低い場所から松原の方から流れてきたのだ。
その人は必死になって海老の裏の山の森に入った。
そこで逃げた仲間の6人が死んだ。
なぜ死んだのか、津波から逃げ後れて死んだ。
津波の波は早いという、車でも逃げきれないほど早かったという。
大内村では津波か来てからトラックで必死で逃げて助かったという話を聞いた。
でも津波が早いとすると車でも逃げきれなかったという。
すると車で逃げても渋滞になったら津波にのまれる
それで大勢死んだということもあった。
津波は早いということである。


津波は低い土地の右田の松原から高い海老の方に流れてきた。
そして海老からまた下の右田の方に流れ下っていったのである。
それにしても海に接した場所だからあそこは怖かったろう
あそこの前に道があり海老の後ろの小高い森の中に入った
ところがその森でもちょっと奥に入らないと助からなかった。
それは津波が来た跡が木などに残っているからわかる
つまり6人があそこて死んだというのは森の奥に入れなかったからだという
それだけ逃げきることができなかった。
津波はそれだけ早いからいち早くに逃げなければ助からない
津波で被害を大きくしたのはチリ地震津波の経験しかなく
津波といってもそれくらいのものしか想定していなかったのである。
津波の前に海がひいたというのは見たという


津波から助かるにはどれだけ早く逃げるかにかかっている


結局津波の被害がこれだけ大きくなったのは津波はいち早く逃げなければ助からない
そのことが徹底していない、もうとっさに逃げなければ助からない
つなみでんでこーというのはまさにてんでんばらばらにでもいいからとにかく逃げろということである。
そういう言い伝えが残ったのは三陸でありこの辺にはない
頭にあったのはチリ地震津波のことしかなかったのである。
そして時間がなかったからかとか聞くと時間はあったという
一時間は津波が来るまであった
時間はあったけど警戒せず逃げなかったことが大被害になった
ただ自分もあの地震のときバタバタ物が落ちてきたりして
それでバタバタしていたらたちまち時間が過ぎる
だから津波の被害にあった人たちもとっさに逃げるという判断ができなかった


それから右田の真野川の岸の野球場で逃げきれずに20人死んだという。
あそこまで逃げきれなかった、海からの距離は2キロくらいあるかもしれない
それでも逃げきれなかったのは津波が早いということもあったし
とっさに逃げるということができなかった
つまり時間はあったが頭に津波がどういうものか何らイメージできなかったのである。
津波は4キロ地点まで被害があった
それも4キロ地点でも床上であり意外と被害が大きかったのである。


あと海老の高台を避難所にしてそこでも30人とか死んだ、それは海に面していたところであった。
もっと逃げる場所があったのだが津波のことを知らないので役所で決めた
ただあそこから後ろの森に逃げていれば助かった
何か木につかまって助かった女性があそこでいたのだ
いづれにしろ間一髪で助かったいた人がいて死んだ人がいる
野球場で20人か、海老で小高い森に逃げて逃げきれず6人死んだ
海老の避難所で30人しんだとか・・・・・
死者の数はやはり多すぎたのである。

やはり津波ということが経験がない知らないということが致命的になったのである。
この辺は400年も大きな津波が来ていない
500年前にも全国に津波が来ているがそれも記録が定かではない
記録ははっきりしているのは元禄からなのである。
それで千葉県とか磐城の四倉に残っている津波の記録がある
それは確かな記録であり伝説である。
ところが相馬藩内にはその元禄の津波の伝説も記録も残っていない
とするとそれは千葉県から四倉まで津波の被害があったが
相馬藩内にはその元禄の津波はきていないとなる
なぜなら元禄になると政治も安定して記録されるようになったから
相馬藩政記に記録が残らないということがありえないからである。
記録がないということは四倉までは津波が来ても相馬藩内には来なかったのだろうとなる


タグ:海老村
posted by 老鶯 at 18:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係
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