2008年04月05日

死と直面した介護の短歌の鑑賞


 死と直面した介護の短歌の鑑賞


武部善人
 
母の胸さすりてをれば末子われ甘えし記憶この母の胸に

艶やかな若き日の母黄躑躅に交錯す華やぐ幻影

吉野秀雄
 
病妻の(やみづま)の胃腑のいたみ小夜中のわれにひびきて胃のうづきくる

古畳を蚤のはねとぶ病室に汝がたまの緒は細りゆくなり

彼の世より呼び立つにやこの世にて引き留むるにや熊蝉の声

たなうらにみ墓をさすりつつゐたり堪へねばわれはかくのごとしつ

これの世に二人の妻と婚ひつれどふたりはわれに一人なるのみ

わが庭に今咲く芙蓉紅蜀葵眼にとめて世を去らむとす


 
古畳を蚤のはねとぶ病室に汝がたまの緒は細りゆくなり
 
洗面道具や食器、寝巻や布団一式、七輪や鍋まで持ち込み、病院にとまりこまねばならなかった。
昔の看護とか介護はかなりお粗末だった。ベッドはなく畳でありそれも古くなった畳であり病気は不潔であり消毒や薬品の匂いがしていた。そこには蠅はか虱とか蚊もわいていた。木造だから余計汚い暗い感じになっていた。点滴も点滴がきれたとき看護婦を呼ばねばならなかった。だから絶えず点滴を見ていねばならなかったと戦後すぐ看護した人が言っていた。今は自動化されているから点滴がきれると看護婦がくる。病院はこの辺では一番立派な七階建てのビルである。この辺で七階建てのこれだけ立派なビルはない、外観を実に立派なのである。介護にしても家でされているのが普通でありオムツは使っていない、藁に寝せて藁にしていたというから信じられない、オムツを紙にすることはできない、紙は高価なものだった。新聞紙でトイレ紙に利用していたときもあった。あれだけオムツで高価な紙を大量に使うことはいかに贅沢かわかる。看護とか介護といっても昔は実にお粗末なものだったのだ。それは物質的な面、ハ−ドの面でもそうでありソフトの面、看護婦頼りだったというのもわかる。ハ−ドの面で不備であり看護婦になぐさめられる他なかった。この辺の生々しい体験談はインタ−ネットで発見されなかったのでわかりにくい、小説などに残っているかもしれない、そもそも看護のはじまりがナイチンゲ−ルの戦傷者の看護にはじまったように明治の日赤の看護婦養成も戦時のための軍隊のための看護婦養成だったことでもわかる。それは太平洋戦争の従軍看護婦時代とつづいていた。平時の生活では看護ということは一般化していなかった。この歌はこういう病院のお粗末な状況を示している歌である。病人はかなり粗末に扱われていたのだ。それは家庭でも同じだった。今ほど手厚く介護されている時代はなかったのだ。だから昔の人は死ぬような病気になると良い介護されないから早く死んだように思う、医療も十分でないから死期は早くなった。現代は死期があらゆる手を尽くすから延びる。それでかえって費用やら人手の負担が増大して苦しむ結果となっている。

病妻の(やみづま)の胃腑のいたみ小夜中のわれにひびきて胃のうづきくる
 

家族の声に何時間でも耳を傾け、痛みとの闘いに共にあり、安らかな死を見つめ合う。ついには患者の悩みを思い続けるあまり、患者と同一化してしまって自殺まで考え、患者から引き剥がすのに苦労される、看護部長の訴えもありました
http://pronet-kyoto.seesaa.net/article/23003206.html

 
ここまでなる人もいるのか、やはり毎日接していると情の厚い人は情が移ってしまうからこうなる。でも自殺まで考えるのは驚きである。自分も苦しみを訴えられると苦しくなってくるのだ。なんとかしてやりたくてもできない、でも苦しみを訴える。便が出ないとか背中が痛いとかいろいろな苦痛が寝たきりになるとでてくる。胃ろうになっていることもどうしても体を不調にしてしまう。他の人はどうしても自分で食事できるから楽だ軽いとみてしまう。自分で食事できる人があそこの病院では多いのだ。軽傷者が多い。だからいづれは自宅に帰れる人たちである。ただ毎日きている妻を介護している人は疲れて倒れたとか介護は体の負担が大きいのだ。車椅子に乗せるだけで一苦労だし体力が必要になるのだ。病気を診る人は病人と一体化する。つくづく認知症にかかわってからそのことばかり考えつづけてきた。なんとかしようとして認知症のことを調べたり何かいい療法がないとか探ってきた。実際認知症の介護では効果があったのだが脳卒中で水泡にきした。病院で認知症は悪化した。病院では誰でも一時的にボケ症状がでるからもともと認知症の人にとって最悪の環境である。病気とかかわるとその本人も病気と戦うことになる。そして介護する人や医者や看護婦でも犠牲になる場合がある。野口英世も細菌と戦いその細菌で死んだのも象徴的である。認知症も病気とするとこの病気との戦いが高齢化で強いられている。これもあまりにも不可解な難題なのである。
 
リハビリに我がかきいだき哀しかな起き上がれずに寝てしまいしを
 
最近起き上がれずに寝てしまうのが哀しい、車椅子に乗るためには起き上がれないとのれないからだ。現代の介護はまたリハビリである。リハビリの期間が長くなる。リハビリによってまた寿命がのびる。リハビリは介助する人にもよる。リハビリを手助けをししてくれる人が必要になる。専門の人もいるが一日一回ではたりないのである。リハビリを毎日介助する人がいれば回復してゆく人もいる、鬼のようになって夫をリハビリさせて何不自由なく車まで運転できるようになった人がいた。リハビリを嫌った人は寝たきりで動けなくなったというのもわかる。脳卒中の場合はリハビリで回復する度合いが決まってしまうのである。だからリハビリさせる人がいるかいないかでも回復の度合いは大きく左右される。


母の胸さすりてをれば末子われ甘えし記憶この母の胸に
艶やかな若き日の母黄躑躅に交錯す華やぐ幻影
私はこれまで延々と書いてきたように認知症の介護をしたけど体が悪い人の介護をしたことはない、認知症でも元気だから体が悪くなった人の介護をしていない、ただ今度脳卒中になり死線をさまよったのでこうした体験の短歌などに興味をもったのである。こういうことは体験しないとわかりにくいのだ。脳卒中だと体がきかなくなるから体にさわる、スキンシップが多くなる。体を持ち上げたりするだけでそうなる。リハビリ専門の人もそうしているのでまねてやっている。ただ専門の人と看護婦と家族が違うのはこの歌のように必ず過去のことを思い出すのである。今のあまりにもみじめな姿だけではない、過去のことが彷彿と思い出す、こういうことが他人にはないので本当に情が通わないのである。認知症になってもやはり常に健やかなときの母なり姉妹なり兄弟なりの姿が浮かんでくるのである。体で情を交わすというのは介護であるんだなとつくづく思った。認知症の介護では嚥下障害のとき背中をさすったりしていたが今は体全体を抱いて起き上がらせようとしたりもっと密接に体のじかの接触が多くなったからである。
 
彼の世より呼び立つにやこの世にて引き留むるにや熊蝉の声
 
この歌も熊蝉は沖縄で聞いた、南方の蝉である。鳴き方も普通の蝉と違っている。ジ−ジ−と長く鳴かない、ひびかないのである。一度死線をさまよったときみんなで呼んだ、植物人間のようになったときみんなで呼んだ、その声はちょうど熊蝉のような声に聞こえた。本人は死人の夢を見ていたというから本当にあの世に一旦行っていたことはまちがいないのだ。それがこの世からの呼びかけでこの世にもどってきたのである。植物人間でも呼びかけが大事であり意識を取り戻している人はかなりいるのである。

これの世に二人の妻と婚ひつれどふたりはわれに一人なるのみ

わが庭に今咲く芙蓉紅蜀葵眼にとめて世を去らむとす
これはこの人の特殊な事情があった。二人の妻が一つになったというのもうらやましい、私の場合はならないからだ。そして最後に芙蓉紅蜀葵と三つの華やぐ花を見てこの世を去った。芙蓉は初秋に咲く花だからこんなに一緒に咲くものなのかわからないが三つの花が最後に見てあの世に逝ったというのはいい最後だったとなる。こういう短歌とか詩でも体験しないとわかりにくい、今回自分自身が体験したので深く読むことができたのである。
posted by 老鶯 at 16:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 福祉医療-老人問題
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