2015年05月24日

インターネットの情報空間の特徴 (マスメデアから個の関心のメデアへ)


インターネットの情報空間の特徴

(マスメデアから個の関心のメデアへ)

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これは小島田から見たもの、鹿狼山(がろう)が見える
これは午後の写真である。


 
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人間の情報伝達は時代によって相当変わってきた。江戸時代までは直接人を通して口伝いなのが多かった。だから何か習う時、師を直接たずねて歩いた。
何かを知るのには教えてもらうのには直接人を通して知るほかないのである。
本とかあってもそれはわずかしか流通していない
だから知識とか情報の点では極限られたものしか得られなかった。
それで江戸時代に御伊勢参りが流行したが会津の農民がそこで農業の知識を直接旅して得た、種も買ってきたとか記録がある。
農業の知識でもそうして直接その場に行かなければ得られない時代だった。

それが急速に江戸時代になると変わってしまった。
新聞が生まれ新聞が権威あるものとなったり本も流通するようになった。
戦前から戦後十年はラジオの時代だった。
ラジオは過去のものになったけどラジオの影響は大きかったのである。
子供の頃ラジオを聞いていて・・・宝島で足音から恐怖をいだくイメージをした
ラジオというメデアは音に敏感になるのである。音から想像するから想像力は映像より醸成されることがあった。
映像として見えないから想像力が働くのである。
そしてラジオができた結果宣伝力が全国的に報道されることで拡大した。
それがナチスを産んだという分析も生まれた。
つまりその頃からラジオはテレビの役割を果たしていたのである。
ラジオさえそれだけの力をもつのだからテレビがどれだけ影響力をもったかわかる。

情報というとその場所がどういう場所かを伝えるだけで相当な情報量になる。
でもテレビ番組とか新聞でも何でもある場所についての情報は一部しか伝えられない
例えば地方については興味がなければ誰も関心ももたないし知らないのである。
一番関心をもっているのはそこに日々生活している人なのである。
そして地元のことでも地元のことを知らないということが普通にある。
最近近くの神社で「天明」の碑を発見したように知らないのである。
情報というのは今はデジタルカメラやスマホで映像中心になっている
これも大きな変化である。普通のカメラの時代は現像しなければならないから金もかかるしそんなにとれないからだ。
いくらとってもいいとなると今やデジダルカメラでもスマホでも写真で記録することになる。写真の日記が生まれた。
実際に人間は忘れやすいからデジタルカメラでとったものをふりかえると効果的である。こんな場面があったのかとか忘れていたのを思い出すのである。
それは一日の行動でもデジタルカメラで記録すると人間は忘れている
だから人間は記録することではパソコンや機械の方がはるかに優れている。
ただその記録したものち意味を与えるのは人間の方が優れている。
機械は記録してもそれが何を意味しているかなど関係なく記録しているだけである。

テレビとかで旅の記録を移す場合、編集しているからいい場面しか写さない
実際は百倍もの記録を映像としてとっている。その中に写されないものが多いから旅でも情報は省かれているから本当に知りたいことなどわからないのである。
例えば「夏の六号線」というのを先日プログに出した。

ここで小島田の所から「鹿狼山」が見える、これは新地にあるこの辺では一番高い山である。
でも地元の人もあそこから鹿狼山が見えるということに注目している人は少ない
まずあそこから「鹿狼山」が見えるというのが情報として伝えられることである。
それから山の陰に歩道に藤の花が咲いていたのである。
何か車が頻繁に往き来するから静かに垂れ咲く藤の花にはにわない感じだった
でも日影になり藤の花が歩道に咲いていたということで俳句にした。

6号線日影の歩道藤垂れぬ

藤の花が咲き6号線を車が走り鹿狼山が見えてそしてあそこまで津波が来ていたのである
一つの地点には空間にはそれだけの情報がある。
でもテレビとかで報道するときは時間も制限されているし面白くするために視聴率とるためにそうした何気ないものありふれた情報は省かれるのである。
だから営利的な情報発信には問題が生まれる、金になることはやるが注目されない金にならないことは伝えないとなるのである。
インターネットの場合は確かに読んでもらう人が多ければやりがいがある。
でも本質的には自分自身の関心から書いているのである。
そこがインターネット情報空間の今までのマスメデアとの相違である。
マスメデアは文字通りマス(大衆、集団)を相手にしたものであり個人的な関心とはまるで違ったものなのである。

personal innner issues
personal dairy issuse
personal interested issues

とかなる。第一あそこの地点に興味をもつ人は地元の人しかいない、自分は自転車でいつも通るからあそこに興味をもった。地元の人でも車の人はまたあそこからの景色に興味をもたないのである。
地元の人でも住む場所が違うと興味をもたないことがあるのだ。
ともかく情報というのはテレビだと一時間放映したとしてもその十倍の量の情報から取捨選択するのだから情報が不足するから必ず誤解が生まれているのだ。
細部が報道されないということがある。
真実の情報はその場を踏まないとわからないとなる。
それは写真でも動画でもそうである。その時の風とか気温とかそこで感じるのは五感でありそこに立たないと感じないものがあるからだ。
日影を感じるということもできないし距離感も感じられないだろう。

soler123.jpg


これも一つの例として写真をみてもらうと
ソーラーパネルがあり今年はこの辺では田んぼが増えた。
それから隣は以前として原野であり草原となっている。
この辺の状態がこの写真で象徴している。
でも外から伝えるときソーラーパネルを写すが回りのことは写さないとソーラーバネルだけが目立つことになる。
だから伝えるべき情報はなかなか外からは伝えられない、現場に立たないと真実が見えないのである。
そこに情報伝達に関しては誤解が常に生まれている、だからやらせが常にありそれで情報捜査される。
イラク戦争でも鳥が油まみれになっていたのを写していたがあれも嘘だったとか
もう情報は実際見ることができないものだから写真からも動画からも本当なのかどうかわからない、それでも一瞬映像を見て判断されるから誤解が多すぎるのである。
つまり映像の時代でも情報捜査されやすいのである。
だからマスメデアから報道されるものでも本当なのか疑う必要も出てくる。
その映像にしてもNHKでも編集されたものでありやらせがあったとかなるからである。

情報というのは五感では感じられないのが多くなった。
動物は言葉がないが何かを伝えあっている能力はある。
愛の表現でも猫があんなに愛し合うとは思わなかった。
顔から体から雄と雌がなめあっているのである。
その猫は同じ親から生まれた子供同士だった
猫は表情がありその表情で伝えている
餌をねだるときは足にまとわりついたり何かを伝える
動物は表情で伝えている、表情が豊かなのである。
一方人間は直接合わないと表情がよみとれないから言葉だけ映像だけでは誤解が生じる
でも反面人間は直接あっても誤解が生まれる
「人はみかけによらぬもの」と言うのも真実である。
あんな顔の人が意外と花に興味をもっていて美人だった人が花に興味をもたないのはなぜだろうとなるとか表情だけから人間はわからない
直接あってもそこで必ず人間に対しては誤解が生まれる
だから人間は常にだまされことがある
動物は正直でありありのままだから表情からわかる
人間はまた表情から見ただけではわかりにくいということもあるから複雑である。

いづれにしろインターネットで明らかに情報空間は変化した。
でもまだまだインターネット情報空間は活用されていない
活用するのが手間なこともある。テレビならただ一方的に見ているだけであるが
インターネットだと探すこと自体手間になるからである。
だからインターネットから情報を得ることは相当な知力も必要になる。
それでもマスメデアからインターネットぃの情報空間へ移ってゆく
マスメデアの情報だけではたりないからである。
マスメデアによって支配されることは操作されることは危険でもあるからだ。
タグ:メデア
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