2008年03月28日

鎌倉俳句短歌集(新)−鎌倉文化の重厚さはなぜ?


鎌倉俳句短歌集(新)−鎌倉文化の重厚さはなぜ?

 
夜桜や鎌倉偲ぶ月に海

切り通し行くやまじかに春の海

三艘と金沢に偲ぶ春の暮

海神を祀る鎌倉春の宮

鎌倉にとどろに寄せる春の波

紅梅や若宮大路の昔かな

鎌倉や緑濃くして五輪塔

鎌倉の武士の妻かも桔梗咲く

鎌倉に小菊あわれや静御前

タブの木に秋の日さして長谷観音

大仏の冬寂として内見つむ
 


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鎌倉に桜吹きちる都なれ浪路荒しも船のいでゆく

山を背に海に向かいし大仏の念じる船の無事につけるを

風にのり船のつくかな和賀江島海に沈みぬ春の夢なれ

鎌倉や地に足のつき海にしも開く力や春の風吹く

鎌倉へ切り通し越え馬馳せる海をし望み春潮ひびく

馬に馳せ船にゆられて鎌倉に集う武士に春の風吹く

鎌倉の禅寺の大門残りける積もる落葉を踏みしめ入りぬ

武士の五輪塔を並べつつ落葉に埋もる山の陰かな

鎌倉の秋や古りにき禅寺の大門残り喝のびびけり

誰か眠るまたここに一基やぐらの墓や木の葉散りけり

東慶寺籠もるやひそか冬桜荒き男の手のふれざるべし
 


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文化が華開くというとき必ずculture-cultivate(耕す)ということが一体にならないと文化はルネサンスは起こらない、「鎌倉や地に足のつき海にしも開く力や春の風吹く」鎌倉は一所懸命の土地に根ざした農民出の武士であり地に足がついていたのと馬の利用にたけていたことそして見逃しやすいのが海にも開けていたのである。大地に根ざし馬を駆使して船を駆使して関東からみちのくに一時代を築いた。ロ−マも大地に根ざしていたし鎌倉路もロ−マの道のように真っ直ぐに作っていたというのもにている。過去の文化はみな大地に根ざしているから重厚なのである。現代は文明であり文化ではない、文明というとき汽車から自動車、飛行機となるが汽車は文化になったがその他は文明であり文化にはならない、人とと物の交流が自由にグロ−バル化しても必ずしも文化は育たないのだ。なぜなら土地そのものは移動できないからだ。そして文化の源は土地を耕すcultureにあるとき、土地から離れてその土地の自然から歴史から離れて文化は育たないのである。現代は何日かで世界一周すらできる。でもそれで文化が育つかというと育たない、なぜ現代が文化の不毛になっているかといと文明があって文化がない、文化はその土地と歴史(時間)によってはぐくまれ育ってゆく。その土地と時間がない故に文化がルネサンスが生まれないのだ。地に足がついた生活がありさらに外来の風があり文化が興る、それが鎌倉時代に集約的に興ったのである。
 
現代は一見過去より進歩しているように見えるが文化的には不毛であり索漠とした時代である。宗教はほとんどカルトだしそれは文化ではない、地から離れた文明の異様な産物となっている。経済は異常なほど拡大化し豊かになっても文化的には不毛の時代なのだ。鎌倉時代には質実剛健な武士の文化と結合して宗教でも芸術でも一体化してルネサンスが興ったのである。過去の歴史からみるとかえって現代の繁栄の中の不毛が歪みが見える。明治時代までは文化があったがそれ以降文化不毛の時代になった。文化とは総合的なことであり一天才だけのものではないし一芸術家のものでもない、鎌倉時代のように総合的なものとして現れるのである。現代ではただ個々に分化したものとしてしか現れない不毛がある。科学が神のごとく異様に突出して君臨しているのもそのためである。宗教はカルトとなり芸術は一個人の中に閉ざされてつながりがない孤立している。総合的全体的な文化としてのルネサンスがないのである。現代は科学と経済の世界でありそこに文化がない、宗教もカルトとして科学と経済の世界にのみこまれている。だから宗教団体から何一つ文化が生まれない、創造もありえない、ただ経済的要求と権力の肥大化だけをおしすすめる。これは世界的なものであり現代はグロ−バル化しても文化がそだたない、文化はその土地に歴史に根ざすときそれぞれ個性的なものになっていた。仏教でも中国→韓国→日本に伝播されたときみんな違ったものとして個性化したのである。だからこそ文化としてその土地に根付いたのである。現代の文明はただ経済のグロ−バル化でありかえってその国の土地と歴史(時間)ではぐくまれたものを破壊する。中国のチベットの弾圧も文化の破壊としてのグロ−バル化があった。その前に必ず経済のグロ−バル化がある。チベット鉄道も経済のグロ−バル化としておしすすめられチベットに経済的恩恵をもたらしても文化は破壊される。その文化のその民族の血のようなところがあるから文化の破壊はその民族の言語を破壊するように致命的となる。
 
 
俳句でも過去に発表したものでも連作として編集し直すと連作として一まとまりとして読めるからまた別なものとなる。今こうして過去のばらばらな作品を編集し直して別なものとして作り直しているのである。
 
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posted by 老鶯 at 20:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 鎌倉-俳句短歌-随筆
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