2008年03月28日

余寒(女医)


軽き傷女医に癒さる余寒かな

 
炎症性粉瘤はほぼ直ったがまだ治療がつづいている。今度は若い女医だった。研修生のような若さだった。時々若い医者が派遣されるが訓練のために派遣されているかもしれない、まあ、このくらいの傷だったら問題がおきることはない、でも医者は怖い職業であることは変わりない、皮膚科でもむずかしい病気があるしどこでもむずかしい病気に直面したら経験がないと判断が誤るしちょっとした手術でも失敗する、失敗して上手になることもあるが実験台にこれたら誰でも嫌である。医療には実験的要素が多くなるのだ。最初試してみなければ効果がわからないからである。本当に実験台にされて病院の前で焼身自殺した人がいたことでもわかる。近くの唯一の総合病院は二カ所みてもらったがやけに親切である。ちょっと痛くても気をつかっている。隣の総合病院は実際は診てもらっていないがそんなに変わりないかもしれない、あの胃ろうの手術した医者は特別かもしれない、どういう事情であんなものの言い方になっているのかわからない、病院から早く出すためなのか?・・・・・ここの病院にはまた家族が療養型の施設があるので移されることになるかも、でも裏側にありあんまりいい感じがしない、病室にしても見晴らしが良くないので閉ざされた感じでいやである。施設の方がいいことはまちがいない、そこは一応人間が生活する場であり病人のように病院にとじこめる場所ではないからだ。


春の雨にしては寒い、季語としてはあっていない、これまで春の雨としたのは違っていたのではないか?

それで季語をみたら余寒とあったので春の雨→余寒にした。季語はいろいろむずかしい。ぴったりな季語が必要なのだが雨がふっている、春だから春の雨となるとは限らない、春の雨だと別なイメ−ジになってしまう。
春の雨はあたたかい雨のイメ−ジなのだ。だから前の春の雨の俳句もなんかしっくりこなかった
俳句は季語による文学だとするときこの季語がまちがっていると適切に表現したことにはならない、つまり写生ではなくイメ−ジ化したものとなる。春の雨というイメ−ジ化したものになっていた。春の雨にしては寒い雨だったからだ。それは写生ではない春の雨から作られた句になってしまっていた。今年は季節的に何か寒いし別になってしまっていた。
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